ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

思い上がりとカン違い。記者って何様?

ジャーナリズム考現学さんの「記者会見はなぜ非公開か?」。私もこの問題について書こうと思っている間に、事態が進行しているようで… 現役記者浜村氏がブログで「私も出て行ってくれと言う」と書いてるのを見て「これはマズイ!」と思いました。年末進行で非常に忙しいのですが、書くことにします。
浜村氏は『問題の記者会見に私が出席していたら、消防局の従前の指導が本当に適切だったかどうかをしつこく質問したと思う。もし、そこにドン・キホーテの社員がいたら、ただでさえ情報を出さない役所は、さらに貝になってしまうだろう。だから「出て行ってくれ」。純粋に仕事の邪魔になるからである。これを「驕り」と言われては、ため息が出てしまう。』『今回のことは、記者クラブの是非とか、行政とマスコミの関係とは、別の文脈の話ではないかと思う。』などと書いています。

前段の消防局への突っ込みは記者としては当然のこと(会見ではなかったようですが)で、私も賛同します。しかし後段はいけない。浜村氏はブログを読む限り精力的な記者という印象で悪気はないと思いますが、知らない間に自分が特権階級にいることに気づいていない、典型的なマスゴミ病にかかっているようです(何度も述べてきましたが共同ブログ騒動と同じ構図)。

Unforgettable Daysの「無自覚に進行する報道機関の行政への癒着」が厳しく指摘しています。『記者会見場にドン・キホーテの社員がいようがいまいが、情報を出し渋る理由にはならないし、理由にしてはいけません。』というのは、本当にそうです。他の意見もほぼ同意できます。マスコミ自らの不勉強や批判精神欠如を棚に上げて、ドンキ社員にその責任を押し付ける。もうどうしようもありません。記者会見は、マスコミのためだけにあるのではありません。本来行政情報はすべての国民(市民)に幅広く共有されなければなりません。現在の記者会見は、便宜上かつ慣例上、記者クラブ加盟社に対して行われているだけで、本来は国民全体のものであるというのを忘れていると思います。つまり思い上がりとカン違いです。『仕事の邪魔になる』。いったい浜村氏は誰のために仕事をしているのでしょうか?

ドンキの社員を追い出したクラブの記者は、加害者(陳列方法や避難計画に問題があり?死者を出してしまった)か被害者(放火された)かどちらの比重が重いかも分からないのに、「ドンキ悪」を頭の中で描いてしまっている。それを嬉々として報道して喜んでいる。確かに社会悪への怒りは必要ですが、思い込みはいけません。これでは、まともな記事は書けません。同じメディアの人間として・記者として本当に恥ずかしい。

消防当局の会見にドンキ社員もいる。好都合じゃないですか。お約束の「聞いていないです」は双方に通用しない。きっちりつめていけばいいのです。確かに東京の会見は押しなべて静かで何の質問もしないようで(重要なことは後で聞く。地方では都市によってかなり違いがあるようで、活発な質問が行われているところもある)記者会見でつめていくというのに慣れていないのかも知れませんが、それはマスコミの怠慢です。普段から一般市民どころかクラブ員以外も入れない記者会見で真実を聞き出そうという努力をせず、夜討ち朝駆けで得ダネ(だいたいくだらない内容)競争にしのぎを削っているわけです。今回の問題こそ、記者クラブやマスコミの問題、さらにはマスコミの特権意識をあぶりだしていると思います。

あわてて書いているので少々言葉が荒いと思います。何か問題があればコメントをください。J考現学さんは別の視点からも書いていますので、参考にしてください。