ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

新聞を読まない人をどうするのか、若者向け紙面の改革

新聞を読まない人たちをどうするのか。今、新聞は必死で無読者対策を進めています。紙面を変えたり、景品を付けたり、HPのコンテンツで囲い込んでみたり… 私が中高生向けの紙面を担当していることは、プロフィールにも書いてありますが、この経験がなければ「紙」への危機感が「実感」として伴わなかったでしょう。取材を通じて、新聞を読むことにメリットのない中高生と接することができたことに非常に感謝しています

私の住む街はタウン誌が強いところです=写真は各タウン誌の高校生コーナー=。特に中高生から大学生と新聞の弱い世代に向けては圧倒的な力を持っています。お店、ファッションなどで激しく争っており、高校生のコーナーも充実しています。昨年、私が弊社の30年間から続いている中高生向け紙面のリニューアルを手がけた際には「胸を借りるつもりで」大いに分析し、スタッフに話を聞いたりして参考にしました。

社内的には、たちが悪いことに、この紙面が以前は非常に強い影響力を持っていたことで40代以上の人にとっては伝説となっていました。それゆえに30年前からほとんどレイアウトや中身が変わっていませんでした。弊社50年史には、このコーナーを始めたころのエピソードが紹介されています「読者からの投稿を誘うため事前に1500枚の往復はがきを準備。『何でもいいから』書いて送ってと配って歩いた。(略)中高生の8割が読んでいるとして全国から注目された」と。しかし、前半の努力の部分は忘れ去られ、「読まれている(はず)」ことが信じられてきたのです。ここ数年の実態と言えば、投稿は来ず、無理に友人や知人の弟や妹に頼むか、それでもなければ記者が高校生になりきって自作自演をしていたのです。

私は雑誌などを分析しながら、「投稿は月に数通しかこない!」など、実態を社内で明らかにして、病巣を公表しました。しかし、社内では「大げさだ」(ホントだって!)とか「読まないやつが悪い」(そんなこと言ったら身もふたもないよ…)というとんでもない反応ばかりでした。現実はあまりに厳しすぎました。人はそういう時、見ざる聞かざるになることを知りました。

私は同僚とアイデアを練り、「自分や友達が載っていると見るのでは?」というシンプルな方針を打ち出しました。高校の有名人や部活、名物先生や学校内の出来事を紹介する「スクールライフ」、スポーツ誌ナンバーの写真と文体を参考にしながら、何かに頑張っている中高生を紹介する「WAKAZO」などのコンテンツを決め、さっそく会社近くの学校にチラシを配りに行きました。

しかし、ほとんどが受け取ってくれませんでした。毎日下校時に30分ほどチラシを配って、その後同僚と2人で駅までの道を歩きます。そう、捨てられたチラシを拾うためです。これほど虚しいときはありませんでした。落ち込みました。「何くそ!」という気持ちで頑張らなければ、自分がつぶれてしまいそうでした。

最近はまあまあというところです。何とか投稿は自作自演せずにすむようになりました。そして、タウン誌には、いつの間にか「高校生新聞」(新聞ですよ、新聞!)なるページができました。今月号を見て驚きました。部活や名物先生紹介… タウン誌に「ぱくられて」いたのです。

タウン誌は依然として影響力があるのに、根こそぎ持っていかなくてもいいじゃないですか… 編集者としての意地やプライドはないのでしょうか?新聞って名前つけてるぐらいなんだし、対抗意識はあるはずですが、そっくり真似ではどうなんでしょう。

ともかく、まねをされるというのは嬉しいし、コンセプトが正しかったのでしょう。編集者として小さな勝利を宣言しても良いのではないでしょうか。

ただ、この勝利は「局地的」な上、新聞の中高生コーナーは、タウン誌と同じことをやれば、やはり負けてしまいます。これからまた別のアイデアを出していかなければなりません。