ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

取材の現場から 8

記者による中越地震リポート。趣旨はこちら(一度はお読みください)。また、現地の状況は絶えず変化しています。筆者の考えが変化したり、表現にブレが生じる可能性が高いため、継続して読んで判断してもらえると助かります。

◆B記者・最終報告◆
通信環境が良くない新潟から帰って、いくつかの反応を読む機会もあった。それへのコメントをかねて最終報告を書きたいと思う。
まず明らかにしておきたいのは、今回の報告は旧知のブログオーナーの個人的な求めに応じて行ったものだ。現地は作業環境も限られており、正直申し上げて、一面的かつ思慮不足の記述もあった。
できるだけ多くの現場を見て回るよう努力したが、正直に言って「メディアの実態を報告せよ」というリクエストに対しては「現場」が多いこと、さらにマスコミの数が多すぎて、あくまで自分の立ち会った現場の状況しか責任を持って報告できない、というのが正直なところだ。
この「メディア記者の飽和状態」こそが、最大の問題ではないかと思われる状況もあった。おそらく最大規模のNHK、関係者に言わせると、最も被害が少ない長岡市に10クルー配置しているそうで、小千谷、川口にほぼ同数と(控えめに計算)しても、30クルー。1クルー3人ですから現場に90人。後方支援や中継器材運用、デスク、管理職、弁当配りのアルバイトまで入れれば、現地取材団は数百人のオーダーになるのではないか。民放、新聞社はそれよりかなり少ないが、ご承知のように民放の系列で5系列、新聞社も地元の新潟日報のほか、朝日、毎日、読売、産経、日経、東京(中日)、共同、時事、そのほかスポットで、北海道新聞や隣県の長野、福島などの記者、カメラマンも現地入りしている。これらが皆、20キロ四方の狭い現場に殺到している。
そこでどんなことが起こるか。標準的な記者会見や、被災者取材を想定すると次のようになる。テレビ:NHK+民放=6クルー×3人(社員記者+系列会社カメラマン+助手)=18人。新聞:新潟日報+全国5紙+通信社2社=8人。カメラマンを入れると16人。要するに、1人の被災者に、6つの大型テレビカメラとライト、約35人のマスコミ関係者が殺到するわけである。日ごろ取材、会見慣れしている人間ならまだしも、ごく普通の被災者だったら、まして子供だったら恐怖心を感じない方がおかしいのではないか。何しろテレビカメラは圧迫感がある。
新聞記者は「テレビが悪い、テレビが取材現場を荒らす、被災者の取材拒否はテレビが原因だ」とも批判するが、それにも一理はある。取材に答えてもいいと思っても、誰でも家の中を、しかも散らかっていたら映像で撮られるのは嫌だろう。避難所はまさに家の中である。
しかし、ご用聞きのように「何かないかなー、何か不満や問題はないですか?」とウロウロするのが果たして記者の仕事なのかどうか。記者の仕事は被災者が抱える問題があれば、その問題が起こったのはなぜなのか、背景にある行政の不手際とか、法律の不備とか、そういうことを取材するものではないか、とも思う。聞いた話だが、ある大手新聞社は記者に日替わりで「避難所泊まり番」を命じたそうだ。寝静まった避難所で何を取材しようと言うのか。それは被災者のストレスを増すだけではないか。この指示を出した人間は現場にいながら「現場が見えていない」と言わざるを得ない。
正直申し上げて、前に取材した災害現場では私も避難所をうろうろしていた。避難所は「現場らしく」、まさに取材すべき対象らしく見えるからだ。でも、ある時期(2−3日か)を過ぎ、ある程度避難所の物資などが積み上がり始めると、災害施策への問題意識なくただグルグル回っても、相手に迷惑なだけだ。いわば「避難所という迷宮の迷子」になってしまうことが分かった。
しかし、現場記者もすぐデスクになる、民放テレビ局だと数年で報道記者がジョブローテーションという名の下、営業職や宣伝職に変わってしまったりする日本のメディアでは、現場で被災者を取材するのは、いつも「災害取材初めて」という記者ばかり。つまり、「避難所の迷子は量産され続ける」。それが恒常的にメディアスクラムを生む一つの原因になっているのではないか。
一方で、発生頻度の高くない自然災害を専門に取材する記者を養成する試みはどの社でも皆無に等しいし、よしんばいたとしても、そういう記者は東京で中央省庁の取材にあたっている(例えば地震や噴火のメカニズム、災害施策を取材する)だろう。
個々の記者のマナーにも問題がある(大多数ではないがごく少数でもない)。曽野綾子氏に「傲岸な猿」といわれてしまったNHKのアナウンサー。そしてボランティアを装って一時帰宅に同行した関西テレビのクルーが代表か。関西テレビの行為に対して、一同業者から言えば「そんなに無理して行ってどうする」という感じがする。イラク北朝鮮に潜入するならともかく(日本の視聴者は内向きなので、そういうネタでは視聴率が取れないのだろうが)、何日かすれば復旧作業が進んで、自由に入れて、しかもヘリで絵が取れる場所なのに、なぜ強引に行くのか理解に苦しむ。
これは一般論だが、民放テレビ局は高給取りの社員記者、その下請けで(率直に言って、あまり給料の高くない)契約カメラマンと助手、という組み合わせで取材しているケースがほとんどだ。契約(=生計)を維持し、待遇を向上させる(成果、歩合が導入されているケースも多い)ために、他社より優れたインパクトのある映像を撮りたいと思うのは、マスコミを離れて、一会社員、契約スタッフとすればあまりに自然なことでもある。しかも現地の取材団は、例えば関西テレビだったら「FNN取材団」の一員なのだが、それぞれクルーごとに別々の会社に所属している。例えば誰かが取材を自制しようと決めても、その指示が十二分に伝わらないことも多いのではないか。実際、全員が同じ会社に所属している新聞社ですら難しいのだから。
NHKの存在と影響力については、前向きに評価する意見もあるだろう。私もその一人だ。今回取材に投入された圧倒的な資本力と人員は、ライバルとしては驚嘆すべきものだ。しかし忘れてはいけないのは、映像メディアの影響力と速報性は驚くべきものだが、それと活字メディアは相互に補完すべきものだということだ。生活情報などは紙の方が見やすいし、記録性もある。NHKの努力だけでメディアが完結するわけではない。実際問題、被災地域外での視聴率は民放の方がはるかに高い。しかし現場では、日本マスコミの代表でも何でもないく、新聞を作るわけでもないのに、「NHKは特別なんだ。NHKにだけ情報提供してくれればいいんだ」みたいなごう慢さが垣間見えるときがあり、それが時として「傲岸な猿」との評論につながったのではないか。実際、被災者からは「NHKの取材は強引だった」などの批判もちらほら聞かれたのは事実だ。
しかし「傲岸な猿の親類」の立場からすれば、災害で役所にとっては電話よりも取材対応が大事なときもある。市民からの電話の問い合わせの内容は「水が出ない」「停電」などほとんど同じかもしれない。同じ内容の問い合わせに限られた人数でいちいち回答するくらいなら、テレビに出演して話した方がはるかに情報伝達は早い。取材対応そのものについても同じことがいえる。NHKの独占インタビューに応じるなら、広報担当者を一人決めて、全メディアを集めて定時に会見すればすむことなのだ。しかもそれが最も効率的な手法である。
課題があるとすれば、今回災害の舞台となったような地方の市町村では、記者会見自体めったに開かれないので、そういうノウハウが提供されなかった(あるいはノウハウの提供が遅れた)のが課題だろう。<
今回特筆したいのは、被害状況について、新潟県庁からの市町村の状況についての情報提供が「詳細かつ迅速」で、忙しい市町村の対策本部への取材対応の負担を大幅に軽減したと考えられることだ。こういうノウハウは他都道府県にも経験として継承してもらいたい。

【追伸】
最も意外だったのは、阪神大震災で被災した記者が、一番「被災者かわいそう」論調に厳しい目を向けていたこと。「被災者は甘えてはいけない。阪神大震災から10年以上経って、地震保険に入っていなかったのは本人の過失。避難所の充実も仮設住宅もよいが、日本が資本主義社会を選んで、自民党が政権を取っている以上、被災しても自力で立ち直る意欲がなければダメだ。ボランティアも被災者の自立を助ける方向で活動していかないといけない」という趣旨。今回は高齢者が多いし、属人的なものもあると思うが、実家が全壊した人間の言うことだけに、そういうものかとも思った。(了)