ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

日放労の決断

NHKの労働組合である「日本放送労働組合」(日放労)が、定期中央委員会で、海老沢勝二会長に一連の不祥事とその後の対応などの責任を取って辞任を求める要求案を、満場一致で可決した 。というニュース。「御用組合の印象が強かった日放労が、思い切ったことをしたなー」というのがまず第一印象でした。NHKがどうなのかは分かりませんが、日本の会社では労組幹部は会社幹部への道とも言われています。団交の席で、つい最近まで労組側に座っていた人がいつのまにか経営側に座って労担をしている、などということはマスコミ界にもあることです。

この問題については、民法も放送していましたし、週刊誌にも書記長のインタビューが掲載されるなど、メディアによる「海老沢包囲網」も少しずつ形成されているようですが、仮に不発に終わり、海老沢会長が権力の座にとどまったとすれば労組幹部は例外なく飛ばされるでしょう。ネットの一部では「中越が大変なことになっているときに、労組は何をやっているのだ!」という批判も見ましたが、私は「飛ばされる」ことを覚悟して「会長辞任」の要求を決めた日放労の人たちにエールを送りたいと思います。これは自浄作用といっていいと思います。

このようなことを書くと、「ジャーナリストだから身を挺して信念を貫け」「辞めさせられるならいざ知らず、飛ばされるのが怖いのか」などという意見が必ずあります。しかし、人間というのはそう簡単ではありません。損得勘定を考えるものです。多くの人が、できればトラブルなく組織でうまくやっていきたいと思い、昇進や給与も望みます、女性にももてたいというのもあるかもしれない(ライブドア堀江社長への妙な批判は、女性にもてたいのに、「もてたい!」と正直にいえない人の嫉妬のようにも感じる)。そういう人が多いのも事実で、私もできればたくさんお金はほしい。その人間の煩悩というか業を認めなければ、地に足の着いた改革はできないと思います。

私が今まで不満だったのは、マスコミ批判を行う人も実践を説く人も「きれいごと」でしか語れなかったことです。煩悩を取り除いて実践をしている人もいるのでしょうが、なんだか自己満足な殉教者のようで、奇妙な「嫌汁(負け犬の遠吠えから引用)」が出ている気がしてなりません。そんな人の講演を聞いても、「すごいね。私とは違うわ」と別次元のように思えてしまう。だから上滑りな議論しかできなかったのではないでしょうか。

日放労の人たちにも煩悩はあるでしょう。実際は「何でこんなときに労組幹部になっちゃったんだろう」なんて思っているかもしれない…。それを我慢して辞任要求を決断したことはすごいと思います。できれば、嫌汁を出さないように今後もやってほしいと思います。そんなことを言っている私も「嫌汁」出してる気がしなくもありませんが…