ガ島通信

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取材の現場から6:ありがとうボランティアと被災者乞食

記者による中越地震リポート。また、現地の状況は絶えず変化しています。筆者の考えが変化したり、表現にブレが生じる可能性が高いため、継続して読んで判断してもらえると助かります。
◆Aカメラマン◆
被災地にはボランティアの力が必要だ。これは間違いない。しかし、通常の生活を取り戻そうと復興を始めたときに、時としてこのボランティアが足かせとなることがある。
まず、阪神大震災の経験からいって、被災者には大きく分けて3タイプの人が今後出てくると思う。1.苦しいながらも自立しようと努力する人。2.がんばってはいるが自立できず助けが必要な人。3.自立できるのにしようとしない人。
問題はこの3の人に、ボランティアが過剰に支援をすることだ。何故こんなことをいうかというと、私は神戸市で被災し、まだボランティアと呼ばれる前から自分たちのいた避難所トイレのウンコのくみ出しをはじめ、その後東灘区のボランティアセンターでボランティアをした。当時を振り返り反省点は多くあるがその中でも「ありがとうボランティア」による被災者乞食の増加をいまでも悔やんでいるからだ。
ボランティアでやって来た人は何を満足感とするかといえば、被災者の役にたったということを第一とする。これは決して悪いことではない。しかし、多くのボランティアは、せいぜい1日か数日しかいない。彼らにとって長期にわたって支援する活動はできないので、この満足感を満たすためには、炊き出しや掃除、水汲みなど簡単に被災者に直接「ありがとう」といってもらえる仕事に人気がでる。また、ボランティアをコーディネートする側にとっても、このような簡単な仕事は割り振りやすく、またニーズも多いため人員をさいてしまう。そうしているうちに、被災者のなかに「してくれるのがあたりまえ」「ボランティアなんでしょ?」という甘えも産まれてくる。
ここで考えて欲しい。テレビや新聞を見ていて皆さんは疑問に思わないだろうか?被災しようがしまいが、一日の食事は自分で食べるということを。
災害初期で近所の店舗もなくまた、ライフラインが寸断されたもとではやむえない。が、例えば小千谷総合体育館の前では業務用スーパーが営業し、裏にはコンビニもある。近くにはラーメン屋にそば屋、20分歩けばジャスコやホームセンターが営業している。家が住めないのは気の毒だが、この状況下で自衛隊がべったりはりついた手厚い炊き出しがあり、支援物資が余剰になっている。この暖かい食べ物を自分たちの持ち出して生活している小規模避難所にもっていけないのか?先日も、曙はボブサップが大規模避難所で炊き出しボランティアをしたらしい、こういうものが「ありがとうボランティア」の典型例でしかない。これなら、この大規模避難所で興行をやったほうがまだまし。そして次の興行の全額を寄付のほうが被災地に役に立つだろう。
話が少しそれたが、言いたいのはこのような過剰な支援やボランティアが被災者の自立を遠ざけて、ひいては地域経済復興に悪影響を及ぼしているということだ。事実、今おこなわれている医療支援だか、行き過ぎた支援が地域医療機関への悪影響があり、過剰な巡回をやめたということもある。
人は弱い部分がある。地震のショックから甘えが産まれても文句は言えないけれども、ボランティアが3.の人を増やす原因になっては意味が無い。これから復興が本格かしてくる。老人しかいない家屋の片付けや買出しなどボランティアの必要性は上がってくる。何処までがボランティアかをきちんと見定めた活動が必要となってくるのではないだろうか。「ありがとうボランティア」で、自立できない被災者を増やすくらいならば、新潟県の温泉に泊まり、この冬には新潟県のゲレンデでスキーをしたほうが、地域経済復興には役立つことだけは間違いない。(了)

・このエントリーは旧ブログより記事を移動したものです