ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

取材の現場から5:抑制されているメディアの取材

記者による中越地震リポート。現地の状況は絶えず変化しています。筆者の考えが変化したり、表現にブレが生じる可能性が高いため、継続して読んで判断してもらえると助かります。

◆B記者◆
メディアの取材については、今回はかなり抑制がきいているという印象を持っている。「何かないか?」と、避難所の避難者が寝ているところをウロウロするというのは、私が有珠山噴火を取材した経験から比べても明らかに減っている。
もちろん、ゼロではない。確かに東京の民放などが、災害取材経験が少ないのか功名心からか、取材相手の承諾を得ないでカメラを回すシーンも幾つか目についた。
一方で、朝日新聞が避難所などで配布している「生活情報号外」は被災者に好評だし、NHKも各避難所にテレビを置いて(そのやり口の是非はさて置いて)よく見られている。長岡のケーブルテレビは市の災害対策本部会議を生中継している。役所の情報伝達力には限りがあるし、メディアで大きく取り上げられることで、ボランティアや義援金が集まるというのも事実。メディアは不要、役所の広報だけあればいいということにはならないと思う。(今回のメディアの取材手法には批判があってしかるべきだと思うので、落ち着いたら考えたい)。
取材で被災者の声を聞く事は避けられないが、被災者内にコーディネーター的役割を果たしてくれる人物がいれば、無差別なメディアスクラムを避けられるのではないだろうか。外部のボランティアがコーディネーターにふさわしくない理由は、被災者への思い入れと配慮が強すぎて、本当は被災者が「話したいと思っている」のに、「被災者は話したくないはずだ」思い込んで、それを封殺してしまう懸念があるからだ。それでは正確な声は外部に届かない。
ボランティアについては「善意」だけに問題点を指摘し難いが、まったく問題が無いわけではない。大規模な小千谷町総合体育館では、自称他称の腕章をしたボランティアが統制なく出入りしていて、常時騒然としている。また、ボランティアが被災者に独自に聞き込みをして、「必要」と思ったものを行政などに相談せず外部に要請。届いたときは既に行き渡っていたなど問題も出始めている。ボランティアのコーディネートは阪神大震災でも課題になったが、まだまだ改善が必要だろう。
役所の担当者の中には「物資はいらない。もらっても区分けできないし、倉庫も借りているが満杯で借り賃もかかる。もうお金以外いらない」と話す人もいる。ただ、長岡に来た物資を川口にまわすとか、小千谷の物資を転送するとか、自治体間の壁があり難しいようだ。他地域の人が想像するほど道路事情は悪くなく、物流の困難はほとんどないことから、早い段階で物資を受け渡す場所を構築しておくべきだったかもしれない。(了)

記者によると川口町ではまだ水が出ない場所が多く「避難所のトイレを使うのは気が引ける」とのことで、できる限り水分を調節し長岡市の宿や水が使える地域の取材基地などで用を足しているとのこと。トイレ問題は生活に密着しているだけに、マスコミの記者やカメラマンでけだなくボランティアの人たちも配慮する必要があるでしょう。