ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

取材の現場から2:局所的被害と健全な場所の多さ

記者による中越地震リポート。現地の状況は絶えず変化しています。筆者の考えが変化したり、表現にブレが生じる可能性が高いため、継続して読んで判断してもらえると助かります。

◆B記者◆
災害取材では現地に到着するまで、正直に言えば記者も「他県に住む一視聴者」にすぎない。電車は走るのか、道路は通れるか、前線基地の水は出るか、電気は、コンビニの品ぞろえはどうか、取材に行く人間自体に十分な情報がないのが実情だ。

長岡市の中心部。結論から言えば新幹線が通らない以外、平静な市民生活が営まれている。コンビニの品ぞろえも、むしろ自宅の近くを上回るくらいだ。車窓から見る民家も、長岡、見附といった「被災地」とされる地域でも、屋根が破損し、墓石のいくつかが倒れている程度に過ぎない(別の取材者によると、両市では市周縁部の山間部の地域での被害が大きいそうだ)。
直下型地震の被害はまさに局所的なのだ。しかし一方で、その局所は時として壊滅的な被害を受ける。

全国放送で映される光景は、たとえNHKであったとしても、「被害を受けた場所」だ。逆にここは被害がない、といった情報はまず提供されない。かつて取材で訪れた有珠山の噴火の際も、第一印象は「こんなに健在な場所が多いのか」だった。
地元の放送や新聞は、生活情報の提供に努力し、センセーショナリズムを抑える努力をしている。しかし、そういった放送は県外に出されることはない。明日から高校の授業が始まる「被災地」がある一方で、いまだ水が使えず、今夕まで電気もなく発電機の持ち込みに頼っていた取材拠点もある。
同僚に聞く。「震度7だった川口町の被害が最も大きいことが分かったのはつい昨日」だという。我々は情報を正確に把握し伝える努力をしなければならない。
しかし、全国向けに要約し、情報は圧縮される。紙面と放送時間に限りがある以上、それは避けられない。でも、その過程で、何が何だか、いったい何が問題なのか、本当の問題が省略されて分からなくなっていってしまっているのかもしれない。
しかし、それは解決可能なのだろうか。我々の役割は何なのか、考える。次回は行政当局についての予定。(了)

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