ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

審査する側がまず審査されるべき!

ライブドアと楽天のプロ野球新規参入の審査が「エロ」の地雷に触れたことで、ネット上での議論がさらに盛り上がっています。私自身もニュースを聞いたときに「本当に楽天はアダルトサイトに未成年が接続できないようにできるのか?」と一番に思いました。
この議論のブログや2ちゃんねるの動きは「スゥインバーン症候群」さんが詳しくまとめてくれているのでそちらを読んでいただくことにして、私が問題にしたいのは審査している側は、その資格があるのかどうかということです。
新規参入の審査基準は、選手やコーチの確保状況、親会社と球団の経営状況、公共財としてふさわしいかなどですが、アダルトが問題なのであれば、楽天のみならず多くのブロガーが突っ込んでいる報知新聞HPのえっち無差別級も問題のはず。巨人本体にも、あいまいなまま終わったドラフト裏金疑惑に高橋選手の借金肩代わり問題、など公共としてふさわしくなさそうな問題が多数ありそうです。さらに、不透明な株の問題となり上場が廃止になるかもしれない西武鉄道、再建が産業再生機構に委ねられることになったダイエー…、そんな会社の人たちが「審査する側」にいる資格などないことはすぐにでも理解できるはずです。それなのにまるで分かっていない。なぜ??
なんだか前フリが非常に長くなってしまいましたが、私の言いたい核心はこの問題は年功序列の日本の組織における管理職と部下の問題と同じ構造だ!ということです。日本は戦後、経済が右肩上がりで、あまり経営センスがないくても、組織のなかで「うまく」やっていけばそこそこ出世できました。多くが単に年齢を重ねているというだけで、部長や局長などの管理職になっていったのです。プロ野球も同じではないでしょうか?ちょっと早く12球団を持っていただけで、「公明な審査をしなきゃならん!」などと言って、査定する側にふんぞり返るのです。
新聞業界にも査定制度の導入が進みつつあります。そこでも、査定する管理職は、自らが今後査定する側に居続けることに、微塵の疑いも持っていません。業界にかかわらず、そんな人たちが周囲にいるのではないでしょうか?
ここで、「そんなのはおかしい」と声を上げることは簡単なようで、組織の中では実は非常に難しいことなのです。私は査定制度を話し合う自社の組合や新聞労連の会合で「まず、管理職が査定すべき立場なのかの査定を組合でやってみればいい。そうすれば査定される側の気持ちもわかる」と言ったことがありますが、誰もやりたがりません。日本型終身雇用はまだまだまだ続いてるので、組合幹部もいずれは管理職。自分がそんな責任を引き受けてしうまうと損だということが賢い人ほど見えてしまう。だから時代は変化しているのに、まだ「うまく」やろうとしてしまうのです。
私も「うまく」やって甘い残り汁を吸い尽くしたいと思っていますが、新聞業界の甘汁は残量が非常に少なそうです…。