ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

三菱不祥事に思うこと

地に落ち続けるスリーダイヤモンド。クラッチ事故で起訴された元社長が「無罪を主張」。ニュースによれば『これまでに起訴された計8被告と法人としての三菱自のうち、6被告と三菱自が無罪を主張している』ということです。


裁判は審理中で、無罪の可能性はあります。しかし、多くの人が「人が亡くなっているのに反省の色がない」と思うでしょうし、起訴された後の有罪率の高さ(有罪率の高さについて日本の司法・警察の有能性を主張する人がいますが、起訴便宜主義で検察は無罪になりそうな案件を起訴しないので、額面通りには受け取れないと思います)や、推定無罪にもかかわらず「無罪」を主張する限り犯罪者VS遺族などの対立軸を作りたがるマスメディア、などさまざまなファクターを分析すれば、有罪を認めて、遺族に謝罪し、事件に幕引きを図ったほうが、会社のためには良い。つまり三菱自動車にとって得なはずです。


しかし、そうならない。そして、三菱内部に「組織を変えよう」という動きや改革、批判があることもほとんど伝わってきません(工場の社員が販売店で洗車サービスをしているというニュースはテレビで見たことがありますが)。


それどころか、へたくそな広報を行ってさらにユーザーの心象を悪くしています。昨日の各紙に三菱自動車から「リコール無償修理」の広告が入っていたのをご存知でしょうか? 三菱側は、タイミングが「良い」と判断したのかもしれませんが、翌日旧経営陣の「無罪主張」では逆効果。それに、三菱は過去に記者クラブに対して「小さく扱ってほしい」との申し入れをしたこともあります。


このようなことが続けば「旧経営陣だけでなく、社員もダメ。組織全体が腐ってるんだな〜」と思われても仕方がないでしょう。


私の書いた「朝日新聞記者に見る傲慢」で、「個人と組織を一体化している」とのご意見がありましたが、世間は個人と組織の区別などしないものです。少なくとも私の知り合いに「リコールを隠し」そうな不誠実なメカニックはいませんが、私の三菱自動車へのイメージは非常に悪い。朝日新聞の問題も同じではないでしょうか? 「カン違いした記者」に会ったことがなくても、読者や取材相手が記者へのイメージを悪化させればそれで終わりなのです。道交法違反問題で朝日新聞は「反省」を世間にアピールしたでしょうか? 多分していない(少なくとも読者に伝わらなければしていないのと同じ)。とすれば、ことの重大性に気づいていないか、罪の意識があまりないか、なのでしょう。


三菱自動車にも、既存マスコミにも頑張っている人、誠実な人はいるでしょう。しかし、「いるように見え」なければダメなのです。個人の努力には限界がありますが、できることはあるはずです。三菱の社員が本当に会社を変えたいのなら、記者やカメラマンが集まる裁判所の前でビラを配ってみてはどうでしょう? このブログは私なりの「行動」ですが、所属する社で良質なジャーナリズムを読者に提供できているかといえば、恥ずかしながらできていませんし、その努力を最大限しているかといえば…それはもう悲しいぐらいしか闘っていません。偉そうなことを言っていますが、私も何もできない三菱自動車の社員と同じ穴のムジナなのです。


[追記] 週間木村剛にKFi営業部長の小松原氏が日本企業の不祥事対応パターンが紹介されています。ともかく嵐を過ぎ去るのを待つ。そのような企業風土を作ってしまったことに、不祥事も「祭」の対応しかできない既存メディアにも大きな責任があると感じています。ブロガー新聞の内容が「祭」(あざらしサラダさんが使っている意味とは違うはず)で終わらないことを期待しています。


《関連記事》 ○日経新聞の「三菱自動車欠陥・再建問題」の特集