ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

ブログ新聞の意義

このブログでも何度も取り上げた読売新聞の報道姿勢問題にからんで、木村剛氏が「ブロガー新聞の発刊」を提案しています。有力なブログサイトに、いろいろなスタンスをもったブロガーが集まり、議論を深めるというのはメディアリテラシーにとっても非常に重要なことといえるでしょう。私もいい内容の記事?を書いたときは積極的にトラックバックしていきたいと思っています。


ところで、私の「新聞はハダカの王様」「ジャーナリズム考現学」で取り上げていただきました。少々批判的なことも書いていますが、某通信社のブログのように双方向の道が閉ざされることはなく、非常にうれしく思います。そこでの議論ですが、残念ながらその発想そのものが全国紙的だな〜と思うのです。


地方=たいしたニュースもない・地味なところ(もちろん決して否定的に書かれていないことは理解しています)


中央=国家権力と対峙


という設定がです。地方の権力だって同じです。警察官だって検察官だって、町議、村議、役場の職員。全てが積み重なって日本のこの腐った官僚システムとそれと持ちつ持たれつの既存メディアが出来上がっているわけで、地方と中央に本質的な違いはないと考えています(私の書き方が悪かったのかも…)。少し前に全国を騒がせた警察の裏金問題も高知新聞と北海道新聞の報道がきっかけですし。国=偉い、地方=まあまあ…、という意識が見え隠れするようで、どうも…。ただ、国を揺るがすような問題になるには、在京大手紙やテレビ局が取り上げないとニッチもさっちにも行かないという点では、地方は苦しい立場です。ですから、なおさら全国紙の方にはしっかりしてもらいたい!!!そう思うのです。
さらに、同じ「ジャーナリズム考現学」には、『記者クラブは優遇されているわけでない』と書かれています。しかし、記者クラブというのは官庁の中に部屋があり、ファックスやコピー(最近では各社が負担するケースが多い)に、ソファーでの仮眠や担当職員による茶菓子のサービスまであったりするわけで、特権的階級であることは間違いないでしょう。もちろん、私も『毎日闘っている』記者がいることは知っていますし、政治家や官僚の不正を暴いた数多くのスクープを否定するつもりはありません。しかし、霞ヶ関では会見で質問する際に記者クラブの担当キャップに内容を事前に話さないと会見で質問もできないというクラブもあるとも聞いています(私は入れないので伝聞で申し訳ありません)。権力に擦り寄り、既得権益に甘える記者たちがいる。そのような実態が、バレつつある今、いくら正論を語っても、メディアへの厳しい目をもつ人たちにとっては、辻本清美的な発言にしか聞こえないのです。
それに、『問題はメディア側よりも権力側にある』とありますが、権力者は常に情報を隠し、自分たちに都合の良いことしか言わないものです。だから、それを暴けないとすれば、それはメディア(ジャーナリスト)側の責任です。そんなことなら、もっと「闘い続ける」気概を持った新しい担い手に道を譲る、もしくは参入してもらい競争すればいいのではないでしょうか? 記者クラブを閉鎖しているのは、既存メディアが特権を失いたくないのはもちろん、異業種をバックに持った記者たちと競争するのが怖いという側面もあるはずです。既存メディアのジャーナリズムの脆弱性を認識しているからこそ、私はブロガーや新興企業のライブドア報道部に記者クラブを壊してもらい(本当は自ら特権を放棄し、市場を開放する気概がほしいが、望むべくも無い)、さらに厳しい競争に自らの身を置くべきだと思います。ブロガー新聞も既存メディアへの緊張感をもたらす可能性があります。
あと、一つだけ思うのは、言論を守っているジャーナリズムの精神は、『闘っている』全国紙や通信社の記者だけが持っているのではないのです。地方紙記者はもちろん、業界紙や週刊誌の記者、それぞれの読者、そして一般市民もそのような精神を持っているということです。
最後に、この文書は「ジャーナリズム考現学」さんのメディアへの憂いやジャーナリズムへの深い洞察を否定するものでないことを書き加えておきます。このような議論ができることをとてもうれしく思います。

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