ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

新聞はハダカの王様

ハダカの王様は、自分がハダカであることを知らない…。

読売新聞社説問題だけでなく、既存メディアにブログが与えた影響なども議論され始めています。私のブログにも「あざらしサラダ」さんからブログが既存メディアに影響を与えた可能性についてコメントを頂きました。残念ながらブログの影響は少ないのではないでしょうか。私が以前に書いたようにまだ新聞関係者はほとんどブログのことを知りません。

西洋人が新大陸を《発見》していないかのように、既存メディアはまだブログを《発見》していないのです。最近ようやく週刊誌がエロ関連ブログを取り上げて、世のお父さんたちの関心をひき始めた程度ですし、既存メディアが取り上げるのは最後の最後(だから新聞やNHKが事象を取り上げるころには、その事象が終わってしまう)。

ですから、読売新聞の論説委員もブログで自分の社説が「火ダルマ」になっていることも知らないでしょうし、知っていたとしても「たいしたことない」と思っているはずです。それは、ブログが既存メディアに与える影響を深刻に考えている人もほとんど存在しないことの裏返しでもあります。

それに、今回の問題では既存メディアが声高に主張してきた「客観報道」の欺瞞が暴かれてしまいました。読売新聞は根来コミッショナーに続いて、滝鼻オーナーのインタビューを2ページにわたって掲載。オーナー発言の検証や反論はありませんでした。あれでは公平性に欠けると言われても仕方ないでしょう。「at most countable」では、参加型ジャーナリズム問題を考えている「ネットは新聞を殺すのか」ブログ周辺での議論(多分ここの議論が新聞とブログの関係については最も深いと思われます…)を『新聞に過剰な期待をかけている』とし、自身は『とっくに新聞を見限っている』と打ち明けています。
さらに『プロのジャーナリストでないと持てない情報や見識によって書かれた記事と言えるだけのものが、現状で、どれだけありますか?』『「記者クラブ制度」によって、既得権益に守られ、「発表記事」だけで紙面が埋められるようになり、独自取材の能力が、どんどんそがれていって「牙を抜かれた状態」になった』との指摘は関係者として本当に耳が痛い話ですし、その通りと恥ずかしながら同意してしまいました。

客観報道のウソ、専門性の欠如… そしてそれを決して認めようとしない。まさに新聞はハダカの王様なのです。 多分全国紙か通信社の記者が書いていると思われるブログ「ジャーナリズム考現学」はネットで読めるニュースは「おこぼれ」であるとし、『ニュースはタダではない。ニュースは、ジャーナリズムの精神を追求する記者たちが権力と対峙しながら絞り出す情報で、民主主義に必要な糧である』と語っています。
もちろん『疑問だが、まだ新聞記者がマシ』と書き加えてはいますが、権力と対峙しながら搾り出す情報???ってそんなにやっているんでしょうか? 私も同じ新聞業界にいますが、そこまで胸を張っていえるだけのジャーナリズムの体現者はあまり見たことがありません(もちろん数は少ないが尊敬できる記者は存在しますが本流にはならないし、記者職からはずされてフリーになるケースも多い)。私の個人的な経験ですが、全国紙の記者ほど「本社」に帰ることばかり考えて、地方ではろくなことをしない。どうでもいいようなネタを大きく書いたり、さんざん関係者をかきまわしていなくなったり。もちろん、地方紙記者もずっと地方にいるためしがらみもできますし、実際あまりギリギリのところは書かない人も多いので、偉そうなことは言えませんが…。
新聞内でのジャーナリズムはすでに死んでいるのではないでしょうか(というよりも最初から無かったのかも…)。そして、銀行や証券会社の例を考えても崩壊寸前の組織でもギリギリまで姿を保とうとしますので、新聞社もなんとか保っていますが、販売と広告収入は着実に減少しており崩壊の日は近いと思います。私はライブドア報道部が記者クラブ加盟を申請して、既存メディアに一石を投じることを期待していましたが、「ネットは新聞を殺すのか」などの湯川氏の報告を読む限りそうはならないようです。日本人の特性として「外圧」でしか変化は訪れない。ネット会社でも有力ブロガーでも、海外メディアでもいいのですが、今から記者クラブ制度に風穴を開けて、全国紙や通信社という組織に属していない記者(決して新聞記者ではない)が首相官邸や官庁、政治家を取材できるようにしておけば、新聞社がコケても大丈夫だし、有権者や市民(どんな言葉が適切か分かりませんが)にとっても今よりマシな報道が提供できるのではないでしょうか。