ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

共同ブログ騒動2

ブログを始める際、所属社を明らかにして実名も公表するのか、匿名にするのかずいぶん悩みました。社に許しを得てやっているわけではないし、個人的なものなので、ここでの意見が社での仕事と結び付けられると誤解を生む可能性もあったし、ブログという未知の世界へ飛び込むのが正直怖かった(今でもかなり恐る恐る)というのもありました。
つまり、この場合何が怖いのかというと、共同ブログ騒動のように「何か問題になった場合」どうするのか、ということです。要は責任問題です。 「週間!木村剛」で木村氏はこの騒動について『私が申し上げたいのは一つだけです。「ジャーナリスト」を名乗るのであれば、「匿名性(=この場合は、『共同通信』というマスメディア)」というセーフティネットに逃げ込まないでほしいということです。自分が殴られない立場にいることを良いことに、相手方をボコボコに殴るという「2ちゃんねる」的なスタンスはとらないでほしい』 カトラー氏は、この騒動に日本マスコミの罪を見い出しています『欧米のマスコミでは、記者はまぎれもなく個人として活動するジャーナリストであり、たまたまその時点で所属しているメディアに記事を書いているに過ぎない。読者の支持を受けるスター記者は、スポーツ選手のように、引き抜かれて、高額の支度金とともに移籍することさえある。こうした人材の流動性が無ければ、その企業に属している人間は必然的に「社畜」にならざるを得ないだろう。小池氏を背後から斬って捨てた、「社畜」のような記者はこうして生まれてきたのだ』 と書いています。


お二人の意見はまったくもって正論であり、心にズキっときました。私の社にも社畜はいるし、軽蔑していますが、私自身も「ブログを匿名でしか書けない」責任から逃げているズルイ社畜でしかない。しかし、世間からジャーナリストと言われても、所詮はサラリーマン。家庭を持つ人、ローンを払わなきゃいけない人もいるでしょう。私自身も社内で大きな問題を起こしたくはないし、フリーになるほどの勇気はナシ(実は新聞業界では地方紙→大手紙、通信社→テレビ局などの移籍やフリーになる人は結構います。ただ、日本の企業全体にいえることですがまだまだ雇用の流動性は低く、マスコミも同様なのです)。けれども、新聞はこのままじゃダメとも思っている。かなりのヘナチョコぶりですが、マスコミとはいえ日本の会社の「無責任・事なかれ体質」と無縁ではいられないのです。

問題は、そんなヘナチョコな人たちくせに偉そうだということにつきます。まるで「総理!総理!」「疑惑のデパート」などと批判しながら、自らを律することができなかった辻元清美氏のようなものです(それを私は社民的立場と呼んでいますが…)。ものを申す立場にいる人はスキを与えてはいけない、特に政治家や高級官僚などの「権力」を追求しなければならいときはなおさらです。しかし、NHK裏金問題の処分を見ても、ものを申す立場を過信し、自らを律することなどは抜け落ちているとしか思えない。以前は、学校の先生と同様、マスコミに対するある種の「尊敬」というか「畏怖」というようなものがあったのかもしれませんが、そんなものは今や消え去っています。つまり、戦後の天皇のようにマスコミも「人間」になったわけですが、マスコミで働いている人がまだ「神」の立場にいると思っている(いや、思い込みたいのかも)あたりが悲劇であり喜劇なのでしょう。神だからヘナチョコもばれないはずだったのに、ずいぶん風当たりが厳しいので、ますます読者(新聞の場合)から離れ御簾の向こうに閉じこもってしまう…。結局、進むべき道は2つしかありません。自らを律し真のジャーナリストを目指すのか、ヘナチョコを認める(決して開き直るのではない!)のか。私はここに勝手に「ヘナチョコ」であることを宣言しますが、社の看板を背負っていたらそうはいきません。共同社内でもブログが閉鎖された2カ月の間、管理職なども交えて「どうするんだ?」という責任を擦り付け合う、堂々巡りの議論が繰り広げられたことでしょう。共同ブログはこれからは本音トークをすることは非常に難しくなり「外向けの話」に終始してしまう可能性が高いでしょう。社業として書いている以上小池編集長としては『当該の記述は「CH−K」編集長である僕個人の評論であり、共同通信の公式見解ではない。ただ、個人攻撃ととれる表現だったことは確かで、反論や批判が寄せられるのは当然だ。僕自身、反省している部分もある』と書くのが精一杯といったところでしょう。確かに、まだ編集長は玉座に座っているのかもしれない。しかし、一度は閉じられた御簾はなんとか開かれました。これが既存マスコミの限界です。


しかし、「ネットは新聞を殺すのか」で湯川氏が書いているように、私もブログから「敗北感」だけでなく「希望」を感じ取っています。ブログには、このような日本の会社組織の構造にどっぷりまみれたマスコミの体質を変化させていく可能性があると信じたい。だから私もブロガーになろうと思ったのです。いろんな方からトラックバックやコメントをいただいて、私自身も勇気付けられています。ぜひ、いろんなご意見をお願いします。