ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

なぜMARCHの学生は、大学に入ったら東大生より勉強しなければならないのか

4月半ばを過ぎ、大学1年生の皆さんもそろそろ最初の緊張感が失われ、アルバイトも始まり、サークルなどで先輩から「勉強なんてしなくていいよ」と囁かれる頃です。ですが、自分がなりたい職業や担いたい社会的な役割があるとしたら、大学の研究に真面目に取り組んで下さい。

まず、法政の1年生向けのガイダンスに使う図を紹介します。

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日々の努力は、時がたてばものすごい差として現れます。トップ校(東大・早慶など)の学生と、法政のようなMARCHレベルの学生と異なるのは子供の頃から積み重ねてきた勉強の努力差であり、入学時点で既に差がついています。

法政の学生がこれまでの努力を続けても、トップ校の学生とは差が広がる一方なのです。大学での学びをやめてしまえば、もっと広がってしまいますよ、ということを話します。

大切なことは可能性を広げること

この話は、トップ校の学生が偉いとか、勉強が出来る人間が良い人生を送るとかを言っているわけではないことに注意してください。努力を積み重ねることで、自分がなりたい仕事を選んだり、良い人脈に出会ったり、チャレンジ出来る可能性が高まったり、という選択の可能性が広がるということなのです。

努力は、勉強でも、スポーツでも、芸術でも、会社に入った後でも、取り組んでいく必要がありますが、勉強以外は、外部環境や人間関係といった「変数」が多く、ただ努力しただけでは成果につながりません。ですが、偏差値は努力が結果につながりやすいのです。勉強という努力ができない人が、起業や社会に出て努力できるかというと怪しいわけです。

「これまで出来てませんでしたが、頑張ります」という言葉を信じるほど企業はお人好しではないので、就活時の学歴フィルターというのも、合理的な判断だと言えるでしょう。逆に言えば、大学でしっかり学んだことを説明すれば、それが実績となり多くの企業は受け入れてくれます。

大学は、勉強という成果が出やすい努力で勝負ができる最後のチャンスです。だからこそ、MARCHの学生は、東大生より大学で勉強しなければならないのです。

自らの環境を把握する

成長するためには多様な構成員が必要とされています。トップ校はそれ以上の大学がないので、ものすごく出来る学生も、ギリギリ受かった学生も混じります。地方からトップ校に行った人で多く聞くのは「自分が一番出来ると思っていたけど、全然ダメでショックを受けた」というものです。

むろんそこで挫折してしまうトップ校の学生も多いのですが、勉強が出来るだけでなく、勉強に加えてスポーツが出来る、本をものすごく読んでいる、頭の回転が猛烈に早い、などすごい奴を見て、日々の努力を続けなければいけないと考える学生もいます。努力の上に別の道を歩もうと知恵を絞る人もいます。つまり、トップ校は環境によって努力が上振れする可能性があるのです。

一方で、MARCHレベルだと、すごい奴はまれで、とんでもなく出来ない学生もいません。学生が均質化してしまい。「なんとなく自分たちが普通なのかな」と勘違いし、パフォーマンスを下げる傾向にあります。自らの置かれた環境をしっかり把握しておきましょう。

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逆転のチャンスはある

このような身も蓋もない現実を突きつけると、法政の学生は現実から逃避してしまうわけですが、逃げても何も起きません。学歴コンプレックスなど劣等感を抱えたままでは、良い方向には人生は向かわないでしょう。

逆転のチャンスはあります。それは学びの質が、大学入試までと、大学では異なるからです。入試までは「正解がある学び」で、大学からは「正解がない学び」になるからです。

代ゼミでは、メディア実践を行うだけでなく、研究を重視しているのはこの「正解がない学び」を実感し、考えられるようになってもらうためです。ただし、学びの質が変わってもトップ校の学生が努力出来るので、努力量がカタパルトのようになってしまいます。

緩やかな丘を歩いてたのに急にアルプスに登るみたいなものですから、滑り落ちる(ゼミを辞める)学生も多くいます。それまで楽をした自業自得なので仕方がありません。本や論文を読んで、研究して、考えて…登るしかありません。

カタパルトを登るために、本を読む(読書祭り)、企業や自治体との共同研究、良質な人的ネットワークの提供も行っています。

「正解がない学び」というのは思いつきではありません。自分の頭で考えるためには「正解がある学び」の積み上げが必要です。根拠が説明できないアイデアは例えうまく言っても再現性がありません。「正解がない学び」の面白さに気づいた学生は、もう一度本を読むなど基本的な学習に取り組みます。学びに楽なルートはないのです。

守破離という言葉がありますが、「正解がある学び」=守、「正解がない学び」=破、までがゼミの役割です。離=学生が社会に出て自分なりの価値を築いてくことです。

 

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大人の甘言は破滅の道

「自分の土俵をつくれ」とか「別の道もある」とか「偏差値だけで決まらない」とか言う大人もいますが、そういう甘言を聞いてサボったら破滅するだけです。先輩の言葉よりも危険です。勉強しても無駄なので起業や特殊な経験(芸能活動、自転車で世界一周など)を勧める大人もいます。それができるなら目指しても良いですし、出来る人はいいのですが、その確率(勝率)が何パーセントか考えてみましょう。

また、言っている人の大学や経歴を確認してみましょう。思いっきりトップ校だったりしますし、芸術家や起業家などいばらの道を生き抜いて来た人であったりします。いばらの道の生存確率は非常に低いのです。

むろん、こんな急なカタパルトは難しいので、平均よりやや上を狙いたいという学生がいても良いのです。私が所属する社会学部は教員も多く、学生に合ったゼミを選ぶことが出来ますし、もしくはゼミを取らずに別の努力をすることも可能です。要は学生のやる気と、覚悟次第です。

そもそも大学は勉強する所です。最近は就活時にもサークルやアルバイトの話をするのではなく、大学で何を学んだか聞かれることが増えています。高い授業料も払っているのです。スマホのゲームをやめ、授業をしっかり聞き、本や論文を読みましょう。ついサボってしまう人は、授業後に何時間か図書館で勉強するなどのルーティンを決めて、努力していく癖をつけていくことをおすすめします。自分の力を信じて努力を積み重ねて欲しいと思います。

努力は必ず誰かが見てくれている

MARCH以外の大学生、既に大学を卒業してしまった、という人もこの記事を読むかもしれません。努力し、学ぶことは、いつから始めても間に合いますし、キツイですがその努力を見てくれている人が必ずいるということも付け加えておきます。

安定していると言われた会社が次々とリストラを行う時代です、メディア業界も非常に変化が激しいのです。大学時代に特殊な経験ではなく、学ぶことを勧めるのは、会社に入った先も学び続けることが必要になっているからです。

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藤代ゼミでは野田市で生物多様性に関するシティプロモーション研究に取り組みました

法政大学社会学部藤代裕之研究室では、2015年度に千葉県野田市から依頼を受け「コウノトリをシンボルとした生物多様性に特化したシティプロモーションの研究」に取り組みました。3月末に活動を終えて市に活動報告を行いましたので概要を紹介します。

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調査:コウノトリ生物多様性が結びついてない

野田市からの依頼は、市が立案した生物多様性戦略に基づいて進めている「コウノトリが住めるような自然環境」をアピールしたい、特にソーシャルメディアでの対応を進めたい、というものでした。いきなり大学生の企画を、となりがちなのですが、まずは調査を行い、課題を発見し、分析する必要があります。

ゴールデンウィーク開けから、ゼミの時間などを使い、河井孝仁東海大学教授の『シティプロモーション 地域の魅力を創るしごと 』や論文を先行研究として学び、ネットなどで野田市の概要や歴史、生物多様性の取り組みを調査しました。

その上で、夏休みに清水公園のバンガローに宿泊し、現地の確認や街頭アンケート調査を行いました。野田にはキッコーマンがあり醤油の町として知られ、枝豆の産地としても有名だったり、イメージがばらけている状態でした。

市民は7割がコウノトリの飼育を知っているものの、生物多様性の推進という理由を知っているのは4割にとどまっていました(n-80)。柏・松戸などの周辺市ではコウノトリも知らないが7割(n-85)。市民の情報取得先は、市報が強く、ソーシャルメディアの利用は低調でした。ユーザーローカルの「ソーシャルインサイト」を活用した調査でも、市民の発信は低調ということが裏付けられました。

ゼミ生が注目したのは、コウノトリは市民には知られているが生物多様性と結びついてないということでした。

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提案:コウノトリ凧づくりで学ぶ

秋学期に入り、調査で明らかになった課題を解決するための企画案を検討、市に4案(コウノトリ丼コンテスト、凧揚げ大会、自然展、生物図鑑:野田マスター)を提案し、凧揚げイベントが採用されました。

イベントは小学生を中心に、子ども館でコウノトリ凧を作る際に、ゼミ生が生物多様性について説明を行い、子供を通じて保護者にも関心を広げて、コウノトリ生物多様性を結びつけるという狙いでした。チラシは小学校や保育所、子ども館を通じて配布するだけでなく、駅前やショッピングセンターでも配布し、カバー率を出来るだけ向上させる工夫をしました。

当初の企画案は、コウノトリの絵を描いた手作りの凧をあげるというものでしたが、実施に向けて市役所の方や関係者と話していく中で、子ども館が毎年凧揚げ大会を実施していること、市内にコウノトリの形をした「コウノトリ凧」を作っている団体があること、などが分かってきました。実施に向けた取り組みの中で資産を「発見」、それを「編集」することができました。

教室には201人が、大会は雪で一日順延しましたが144人の参加がありました。 

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課題:低調なソーシャルメディア

低調なソーシャルメディアを盛り上げるためにプレゼントを用意した企画を考え、チラシ配布、子ども館で保護者に声掛け、などの広報を行いましたが、これは低調なままでした。絵になるイベントで、ソーシャルで拡散を狙いましたが、これはうまく行きませんでした。

コウノトリ生物多様性の推進を結びつける事ができる「場」は提案できたものの、ソーシャルメディアの対応は不十分でした。その要因を、野田市自治会など地域コミュニティが強く、市報が浸透していること、ソーシャルメディア利用への不安があることから、市民への情報伝達にソーシャルメディアを利用する条件が整っていないのではないかとゼミ生は考察しました。

これらの施策と考察を踏まえた上での提案として

などにより、シティプロモーションを進めることが出来るとしました。

報告会では、市長から「子供に注目して、お母さんから学びを進める取り組みは良かったが、ソーシャルメディアでの広がりについては対応を考えていかないといけない。我々の課題だ」とのコメントを頂きました。

代ゼミの取り組みをまとめたパンフレット「コウノトリ便」を、自治会や小学校などを通じて市内の皆さんにお届けする予定です。

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取り組みに関して、野田市役所、子ども館、凧の会の皆さん、そして市民の皆さんに大変お世話になりました。

 藤代ゼミでは、一昨年の夏休みの合宿を足利市NPO「コムラボ」の皆さんの協力で行い、ワークショップで冊子「足利のたからさがし」を制作、昨年はローカルジャーナリストの田中輝美さんと『地域ではたらく「風の人」という新しい選択』という本を出版しました。コムラボさんとは地域ライターの養成講座を行うなど関係が続いています。引き続き、地域からの発信者を増やす活動を進めていきたいと思います。

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藤代ゼミ課題図書「ジャーナリズムを理解する7冊」

代ゼミの課題図書「ジャーナリズムを理解する7冊」を紹介します。最近、フリーランスの方などから「ジャーナリズムに関するオススメの本はありませんか」と聞かれることも多くなったので、ゼミで読んでいた本を少し入れ替えて、ジャーナリズムとはなにかという根本問題からソーシャルメディアの登場によるメディアの変化を踏まえたものを幅広く揃えてみました。これまでの課題図書に「変化するメディアを知る7冊」「考える力をつける4冊」があります。

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日航機墜落という大事故を前にした地方紙の内側を描いた横山秀夫のベストセラー。現場に走る記者たち、遺族からの問いかけ、スクープを求める業(ごう)、部下が自分たち以上の現場を踏んでしまうことに嫉妬する上司、凄惨な現場を見て壊れる記者、社内の権力闘争…伝えるべきニュースとは何か、メディアの役割とは何か、揺れる記者をリアルに描いた傑作。ジャーナリストという仕事の課題、社会的役割もよく分かる一冊です。ドラマと映画がつくられていますがNHKが制作したドラマ版「クライマーズ・ハイ」がオススメです。 

駆け出しの新聞記者としてサツ回り(警察担当)をやっていた時に、他社の先輩記者から「読んでおけ」とプレゼントされたもの。短いですが4編どれもが非常に本質的で、取材し、伝えることの難しさ、多くの人に情報を伝える責任について考えさせられます。いまでも時折読み返す大切な一冊。誤報―新聞報道の死角』後藤文康と合わせて読むといいと思います。

本田靖春の著作はどれも魅力的ですが、一冊挙げるとしたらこれ。戦後の混乱期にスクープを連発したスター記者が、検察の派閥闘争に巻き込まれて逮捕され、新聞社からも捨てられていくという悲劇を描いた作品。破天荒な記者スタイルは時代の空気を感じますが、取材対象である権力との関係、そして組織との関係は、普遍的な事柄としていまでも何ら解決していないと感じます。

軍部に寄ってペンを奪われたーなどと第二次世界大戦時のメディア状況を書いている記者はこの本を読んでないのでしょう。小ヒムラーと呼ばれて言論弾圧のシンボルにされた鈴木庫三の日記を発掘し、資料や証言と突き合わせることで、軍とメディアの動きを浮き彫りにします。メディア研究者による本ですが、作られた「常識」を覆し、別の世界があったことを照らす作業はジャーナリズムそのものです。

ボスニア紛争時のPR会社の動きを追うことで、国家間の情報操作を明らかにした労作。PR会社や政治家たちの証言を丹念に置い、淡々と紹介することで迫力を増しています。この本を読んで、PR会社を悪者だと決めつけるのではなく、国の「正義」やメディアの報じる「善悪」は何か、そして自分たちの受け取る情報についても、考えるきっかけになる本です。元になったNHKスペシャル民族浄化」も力作で、授業で使っています。

旧知の河北新報編集委員で、ジャーナリストの寺島さんがアメリカ留学での調査をまとめて2005年に出版されました。「つながる新聞づくり」が地方紙の役割という指摘は、東日本大震災で注目され、寺島さんはブログ「Cafe Vita」を書き続ける実践を行っています。ソーシャルメディア時代にもつながる、大学や地域とつながった新聞づくり、リテラシー教育など、メディアが取り入れるべき事柄がたくさんあります。

調査報道で新聞協会賞を2度受賞した毎日新聞大治朋子記者によるアメリカのメディア状況のルポ。メディア激変の中で働く当事者として、メディア企業の幹部、NPO、ジャーナリズムスクールの教員に、疑問をぶつけていくスタイルなので読みやすい。元日本経済新聞記者でフリージャーナリスト牧野洋さんのメディアのあり方を変えた 米ハフィントン・ポストの衝撃』もあります。

 

こうやって7冊紹介すると、自分がルポルタージュやノンフィクションといったジャーナリズム作品より、メディアの社会的役割や課題、伝えることの責任や矛盾、権力や組織との関係に強い関心があることが分かります。もし、取材結果をまとめたもので一冊と言われたら日本で初めて行われた和田心臓移植を取材した共同通信の『凍れる心臓 』を押します。

 

【これまでの課題図書】


藤代ゼミ課題図書「変化するメディアを知る7冊」 - ガ島通信


藤代ゼミ夏休みの課題図書「考える力をつける4冊」 - ガ島通信

あっという間に読めるけど一行ごとに面白い『「ない仕事」の作り方』みうらじゅん著

文藝春秋の方から頂いたみうらじゅんの『「ない仕事」の作り方』。テレビに出て変なことを言ったり、雑誌でよくわからない連載をしている人だなあ、ぐらいの印象だったのですが、すいませんでした。真面目に書くと、ゆるさの裏に努力有りということだと思いますが、その努力というのが半端ないのです。

「ない仕事」の作り方

「ない仕事」の作り方

 

本にはみうら流、「そこがいいんじゃない!」とどんなに下らないものでも、面白さを自分で見つけ、そして好きだと思い込み、編集者を接待して売り込み、周囲を巻き込んで、世に出して仕事にしていくノウハウがたっぷり詰まっています。ここまで書いて良いのか?というぐらい詰まっています。

書かれてるアイデアや名付け(ゆるキャラとかマイブームがみうらさん作で流行ったもの)のほとんどんが、まったくと言って良いほど世の中に採用されていません。例えば…

  • 親孝行は照れくさい→親コーラー、エナリスト
  • 暴走族を格好悪い名前にしたらなくなるのでは?→オナラプープー族
  • ぐっとくる海士→AMA(エーエムエー)

こんな恥ずかしい言葉をつくって流行らなかったら、心折れると思うんですが、それでもみうらさんは「ブームになればいい」と次々と言葉を作り出していくのです。その飽くなき執念を支えるのは「ブームは誤解から生まれる」という確信。そのために自分を「絶対に流行る」と洗脳する…面白いので、あっという間に読めてしまうのですが、それは孔明の罠。面白エピソードの間にはさまれたノウハウの中で一番凄いと感じたのは

  • 就職試験に落ちた後、誰かの原稿が落ちるかもしれないと考えて知り合いの編集部に出入りするようにしていた

というエピソード。なんというセコさ、マメさ。この本は、ゆるーく面白い話題を散りばめて「そこがいいんじゃない!」と読者が簡単に思えるようにして試しているんだ(確信)。笑いながらすかっと読むもよし、丁寧にノウハウを拾うもよし。とりあえず、よくわからない名前のチームを作って活動しようと思います。

ソーシャルメディア時代の顔写真報道について考える

12人の大学生が亡くなった長野県で起きたスキーバス事故。私が所属する法政大学も尾木直樹先生のゼミ生3人が巻き込まれました。本当に残念でなりません。心からお悔やみ申し上げます。

大きな事件・事故があるとマスメディアは顔写真やエピソードを掲載しますが、今回はソーシャルメディアを使う世代ということもあり、バス事故で亡くなった学生たちの写真が、FacebookTwitter、ブログからの「引用」でした。これに違和感を持った人もいたようです。なぜ分かったかというと、朝日新聞の記事に「フェイスブックから」「ブログから」と書かれていたからです。
www.asahi.com

出所を明示した朝日、しなかった読売・毎日

事件・事故で亡くなった方の写真の扱いについては色々な意見がありますが、報道現場の認識は概ね下記のような「報道目的であれば使っても良い」ということでしょう。ソーシャルメディア以前は、大きな事件・事故があれば顔写真を「どこからか(卒業アルバムや友人が持っているものなど)」入手して掲載してきたわけですが、この場合許諾を得ることも、出所を示すこともありませんでした。

 ソーシャルメディアに投稿された顔写真についても同様に、報道目的であれば許諾なしで利用できる。(日本新聞協会の報道資料研究会

実はソーシャルメディアが出所であると明示しているのは朝日新聞だけ。読売新聞、毎日新聞を購入して確認したところ、出所は明示していないものの朝日と同じ写真があることが分かりました。

f:id:gatonews:20160117114234j:plainスキーバス転落事故を報じる1月17日の朝刊社会面。左から毎日新聞、読売新聞、朝日新聞

 

朝日が出所を明示したというのは「引用」だと捉えた可能性があります。Facebookのプロフィールは投稿が非公開であっても公開されています。公表された著作物は報道、批評、研究などの目的であれば出所を明らかにするなどのルールを守っていれば問題になりません。

朝日の記事を批判する人もいますが、「どこからか」入手して掲載したというスタイルより、朝日の記事のほうがソーシャルメディアの時代に適した記事の書き方と言えるでしょう。ブログを読んでいるみなさんは、写真の引用や出所問題をどうお考えになるでしょうか。

個人としてこの問題を捉えるなら、誰もが見えるところに何らかのコンテンツを公開するということは、報道、批評、研究に引用されても仕方がないということです。なお引用は許可を得る必要がありません(無断引用という言葉は間違い)。もし、引用されたくなければ今のところは、公開されるネットに一切(友人、知人と一緒に写っているものも含めて)顔写真を掲載しないようにする必要があります。なお、LINEなど公開が前提となっていないものは別です。

報道に顔写真が必要なのか

それでも、どことなく「これでいいのか」という違和感は消えないと思います。それは、そもそも報道に顔写真が必要なのかという根本問題があるからでしょう。

顔写真については、『新聞報道と顔写真―写真のウソとマコト』という本があるぐらいですし、横山秀夫が地方紙を描いた小説『クライマーズ・ハイ』では主人公の悠木が県警キャップ時代に顔写真を取ることを命じた後輩の望月が、死者の顔写真を新聞に掲載する意味について食って掛かかり、その後自殺のような死を遂げることが描かれているように、長い間報道現場で課題となっています。

いまやよほど大きな事件・事故でなければ掲載されませんが、私が駆け出しの記者だった20年前はどんな小さな交通事故でも顔写真を入手するのが当たり前という時代でした。取材をすると罵声を浴びせられたり、追い返されたりすることがあり、「何の意味があるのか」と非常に悩みました。

取材を重ねる中で出した結論は遺族がどう考えるか、というものでした。 全員が顔写真の掲載を拒否するわけではありません。遺族の中には「多くの人に知ってもらい、最後の別れをしてもらいたいので」と顔写真を載せて欲しいと希望する方もいます。事件・事故が起きてほしくないから多くの人に考えてもらいたい、とメッセージを託してくださる方もいました。

大変な悲しみの中にあるのに、大切な人の死を社会のために生かそうとする人がいるということは、若い駆け出し記者である自分には驚きでした。

注意深く取材をするようになり気づいたことは、「顔写真なんて探しに来たのか。帰れ」などと怒るのはだいたい関係が遠い親戚とか近所の人なのです。 こういう議論が起きるときは「誰も掲載を望まない」などと一方的に決めつけた意見がネットで拡散されがちですが、これも当事者にはほとんど関係がない人が、報道をきっかけに騒いでいるパターンに過ぎません。

遺族に「事故を起こさないために社会に広く伝えたい」という考えがあり、そこに顔写真やエピソードがあるなら、批判は少なくなるでしょう。というより、何らかの批判があったとしても、当事者が社会に声を上げたいと望むのであれば、それを支えるのが報道の役割です。

顔写真を望むのは読者でもある

ソーシャルメディアの登場で、プライバシーを守るのはどんどん難しくなっています。ネットメディアやまとめサイトは、普段から勝手にキャプチャしていますし、今回のスキーバス事故でも、容姿についてタイトルに出したまとめサイトもあり、拡散されています。

このことからも分かるように、顔写真の掲載を続ける理由には読者や視聴者が望むからという側面があるのです。報道や公益性を打ち出しても、ビジネスであるという事実からは逃れることが出来ませんし、受け取る側の要求が反映されるのです。

しかし、いまや欲望を剥き出しにしたメディアはネット上に無数に存在し、気軽にアクセスが可能になっています。もし、新聞社が報道機関として信頼と価値を高めたいのだとすれば、ソーシャルメディアで簡単に「引用」できたとしてもあえて掲載せず、遺族から許可を得るなど丁寧に取材していくべきです。

遺族は、気持が落ち着くまでには時間がかかり、しばらくたってから何か話したいという場合もあります。時間が立てば人は忘れてニュースバリューが落ちてしまいますが、丁寧にニュースを扱うことが伝わっていけば、取材を受ける側にも、読者側にも変化が起きるでしょう。

現在の報道スタイルでは、手間をかけている現場取材が無駄になっている上、書いている事がまとめサイトとなどと変わらないものになっており、その価値が読者には伝わりません。ソーシャルメディア時代に合わせた取材、記事、紙面やネットでの展開を考えていく必要があるでしょう。

この問題は簡単に答えがでるものではありませんし、ブログを読んだ方にも色々な意見や考えもあると思いますが、それぞれに考えて頂ければ幸いです。下記の本が参考になると思います。

 

■『クライマーズ・ハイ』は大きな事故が記者にどのような心理をもたらすのかという点からも興味深い本です。大きな事故に関してソーシャルメディアで何かを発言する際に、この本に登場する記者と同じような心理になっていないか…

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

 

 ■マンガ『海猿12巻』。海上に航空機が墜落、事故の犠牲者名簿を電話で確認する作業を担当する浦部(仙崎の彼女、毎朝新聞社記者)。「私はいったい何をやっているんだろう」。報道の意味を考えさせられる。

海猿 (12) (ヤングサンデーコミックス)

海猿 (12) (ヤングサンデーコミックス)

 

 

書籍に論文、国際会議での発表とゼミ生が大活躍の2015年でした

法政大学に移って3年目となった2015年は、ゼミ生の活躍で充実した年となりました。

ローカルジャーナリストの田中輝美さんと1月から一緒に取り組んでいた風の人プロジェクトは8月に「地域ではたらく「風の人」という新しい選択」(ハーベスト出版)として、情報ネットワーク法学会の研究会で2013年から続けてきた議論をベースに10月には「 ソーシャルメディア論: つながりを再設計する」(青弓社)を出版することが出来ました。

どちらも紆余曲折があったものの、沢山の方の支えと編集者との出会いがあり、出版までたどり着きました。風の人では、ふるさと島根定住財団との「地元に帰る帰らない会議」、珍獣ナイトに仕事バー、田中優子さんを迎えてのトークイベントなども実施しました。

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NTTコミュニケーション科学基礎研究所との共同研究は、7回データ工学と情報マネジメントに関するフォーラム(DEIM2015)でゼミ生が筆頭で発表した「SNS上での拡散を誘発するwebニュース説明文の調査と自動選択」が優秀インタラクティブ賞 、学生プレゼンテーション賞のW受賞。さらに、オーストラリアで開かれた国際会議CIKM '15(Conference on Information and Knowledge Management)にポスターで参加しました。

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昨年共同研究を行ったTBSメディア総合研究所の成果についても日経広告研究所報Vol.283に学生論文「大学生のテレビ視聴のきっかけ ―ソーシャルメディア利用との関係を中心に」として発表しました。

また、初めてのゼミ卒業生が執筆した「ソーシャルメディアとテレビ番組の連携の効果に関する研究」が2014年度の優秀卒業論文に選ばれました。

教員としては、法政大学教育開発支援機構が行った「学生が選ぶベストティーチャー賞」に選ばれました。投票してくれた学生の皆さんどうもありがとうございました。授業では「ウェブジャーナリズム実習」でYahoo!ニュースの協力を得て新しいアプリを考えてみました(参考:「お金がない」「電車で座りたい」――大学生がアプリで解決したい課題とは?【法政大学×Yahoo!ニュース】 - Yahoo!ニュース スタッフブログ)。

Facebookを見返すと2014年末にこんなことを書いていました。 

2015年はゼミ生からの調査報告のまとめや論文、原稿を待っている間にやってきた。「2014年内提出」という締め切りはいつものように守れず、最後の最後までやり切れない悔しい年越しだった。 何度「もういいかな。こいつらには出来ないんだ」と思ったことか。「正直どうしたらいいか分からない」とも伝えたこともある。「ゼミ生に求めるレベルが厳しすぎるのではないか」とも言われた。3年生は半分以下になった。 ウソをついて「出来る」と褒めても仕方ないし、こんなもんだと諦めるなら教員を続ける意味が無い。ゼミ生が必ず出来るようになると信じてやり続けるしかない。目線を上げるために、もっと劇的に環境を変えていく必要もあるかもしれない。2015年はやれることは全てやりたい。明けない夜はないのだから。

ゼミのチームワークを高めようとサイボウズにワークショップをお願いしたりもしました(参考:コスパより「理想」を追え!──藤代ゼミで行った大学生向けチーム議論のメソッド | ベストチーム・オブ・ザ・イヤー)。

結果的に、書籍に賞、国際会議、論文と藤代ゼミ生の活躍は目覚ましいものがあり、 法政大学生の潜在能力の高さを証明できたと思います。就活では4年生が最後まで粘ってそれぞれに納得がいく結果を出してくれたことも教員としては大変に嬉しいことでした。ゼミ生は、泣いたり、笑ったりしながら、自分と向き合い、何事も面白がれるようになり、成果が出るようになりました。

千葉県野田市のシティプロモーション、「ACROSS」編集部とのプロジェクト(PDF:パルコのファッション&カルチャーのシンクタンク「ACROSS」編集部との産学協同プロジェクトを始動。東京、ソウル、京都で定点観測を実施。)、などの取り組みを進めているところです。2016年も藤代ゼミはますます面白くなるはずです。

仲間と取り組んでいる日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)の「ジャーナリズム・イノベーション・アワード」は1年目にも関わらず好評を頂き、出展者同士の連携で新たな取り組みが生まれるなど、ジャーナリズムの発展に小さいながら寄与できたと思います。

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アワードをきっかけに、藤村厚夫さん、長澤秀行さん、瀬尾傑さんと共に発起人となり、メディア・ジャーナリズムを引っ張ってきたベテランと、未来を担う若手が運営となったイベント「ONA共催デジタルジャーナリズムフォーラム2016」の開催も決まりました。「ジャーナリズム・イノベーション・アワード2016」も連携して開催します。

地域の発信者を増やすというライフワークも足利市NPO法人「コムラボ」の皆さんと足利市の事業として地域ライターを育てる取り組みを始めました(参考:足利でクラウドソーシング活用講座はじまります! | NPO法人コムラボ)。

そういえば、2015年は徳島新聞を辞めてから10年という区切りでした。キャリアについて珍しくインタビューを受けました。朽木さんが書いてくれた記事はとても多くの方に読んで頂いたようです。

www.pasonacareer.jp

10年早いと言われながら、ソーシャルメディア論や風の人、アワード、ライター講座、ゼミ…誰もが発信者になれる時代のジャーナリズム活動底上げにつながる活動はようやくカタチになり始めました。どの活動も、共同研究先、共同プロジェクト先の皆さんのアドバイスや指導に大いに助けられました。ジャーナリズムの未来をつくる仲間に恵まれたことに感謝しつつ、2016年もどうぞよろしくお願いいたします。

「ソーシャルメディア論」出版記念イベント:ソーシャルメディアをどう教えるのかを行います(終了しました)

10月に「ソーシャルメディア論: つながりを再設計する」を出版しました。本の表紙にも書いているように「ソーシャルメディア論」の教科書としてまとめたものです。

『ありそうでなかった「ソーシャルメディア論」の教科書。「ネットは恐ろしい」で終わらせず、無責任な未来像を描くのでもなく、ソーシャルメディアを使いこなし、よりよい社会をつくっていくための15章。』

出版を記念して12月19日に「ソーシャルメディアをどう教えるのか」と題したイベントを法政大学で行います。著者による講義時のポイントを紹介する5分のライトニングトークと会場からの質疑に回答するQ&Aがあります。

対象は、高校、大学、大学院、企業やNPOなどでソーシャルメディアに関して教える機会がある方が前提となりますが、もちろん、書籍の理解を深めたいという方の参加も歓迎です。

この本は情報ネットワーク法学会の研究会での議論をベースにつくられていますが、著者が揃う機会は研究会の際にもありませんでした。執筆者には各分野で注目の人材が揃っているので貴重な機会です。

本を購入して持参してください。できれば事前に目を通して頂けるとありがたいです。

ソーシャルメディア論: つながりを再設計する

ソーシャルメディア論: つながりを再設計する

 

【イベント概要】

開場:14時 開始:14時30分 終了予定:17時

場所:法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎3階 S306教室

参加条件:申し込み不要。「ソーシャルメディア論」を持参して下さい

14時30分:本の狙い、使い方

14時40分:著者による講義時のポイント紹介ライトニングトーク(各5分)

16時:質疑

17時:終了

登壇者(担当分野、所属)

木村昭悟 (技術、NTT研究所)

一戸信哉 (法・教育、敬和学園大学

伊藤儀雄 (ニュース、Yahoo!JAPAN)

山口浩  (広告・人、駒沢大学

工藤郁子 (キャンペーン、マカイラ)

小笠原伸 (都市、白鴎大学

新志有裕 (権利、弁護士ドットコムニュース)

小林啓倫 (モノ、日立コンサルティング

生貝直人 (共同規制、東京大学

五十嵐悠紀(システム、明治大学

藤代裕之 (歴史・メディア、法政大学)

主催:情報ネットワーク法学会デジタルジャーナリズム研究会・ソーシャルメディア研究会、法政大学藤代裕之研究室、共催:法政大学社会学研究科

以下はチラシです。

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