ガ島通信

メディアとジャーナリズムの未来を追いかける

あっという間に読めるけど一行ごとに面白い『「ない仕事」の作り方』みうらじゅん著

文藝春秋の方から頂いたみうらじゅんの『「ない仕事」の作り方』。テレビに出て変なことを言ったり、雑誌でよくわからない連載をしている人だなあ、ぐらいの印象だったのですが、すいませんでした。真面目に書くと、ゆるさの裏に努力有りということだと思いますが、その努力というのが半端ないのです。

「ない仕事」の作り方

「ない仕事」の作り方

 

本にはみうら流、「そこがいいんじゃない!」とどんなに下らないものでも、面白さを自分で見つけ、そして好きだと思い込み、編集者を接待して売り込み、周囲を巻き込んで、世に出して仕事にしていくノウハウがたっぷり詰まっています。ここまで書いて良いのか?というぐらい詰まっています。

書かれてるアイデアや名付け(ゆるキャラとかマイブームがみうらさん作で流行ったもの)のほとんどんが、まったくと言って良いほど世の中に採用されていません。例えば…

  • 親孝行は照れくさい→親コーラー、エナリスト
  • 暴走族を格好悪い名前にしたらなくなるのでは?→オナラプープー族
  • ぐっとくる海士→AMA(エーエムエー)

こんな恥ずかしい言葉をつくって流行らなかったら、心折れると思うんですが、それでもみうらさんは「ブームになればいい」と次々と言葉を作り出していくのです。その飽くなき執念を支えるのは「ブームは誤解から生まれる」という確信。そのために自分を「絶対に流行る」と洗脳する…面白いので、あっという間に読めてしまうのですが、それは孔明の罠。面白エピソードの間にはさまれたノウハウの中で一番凄いと感じたのは

  • 就職試験に落ちた後、誰かの原稿が落ちるかもしれないと考えて知り合いの編集部に出入りするようにしていた

というエピソード。なんというセコさ、マメさ。この本は、ゆるーく面白い話題を散りばめて「そこがいいんじゃない!」と読者が簡単に思えるようにして試しているんだ(確信)。笑いながらすかっと読むもよし、丁寧にノウハウを拾うもよし。とりあえず、よくわからない名前のチームを作って活動しようと思います。

ソーシャルメディア時代の顔写真報道について考える

12人の大学生が亡くなった長野県で起きたスキーバス事故。私が所属する法政大学も尾木直樹先生のゼミ生3人が巻き込まれました。本当に残念でなりません。心からお悔やみ申し上げます。

大きな事件・事故があるとマスメディアは顔写真やエピソードを掲載しますが、今回はソーシャルメディアを使う世代ということもあり、バス事故で亡くなった学生たちの写真が、FacebookTwitter、ブログからの「引用」でした。これに違和感を持った人もいたようです。なぜ分かったかというと、朝日新聞の記事に「フェイスブックから」「ブログから」と書かれていたからです。
www.asahi.com

出所を明示した朝日、しなかった読売・毎日

事件・事故で亡くなった方の写真の扱いについては色々な意見がありますが、報道現場の認識は概ね下記のような「報道目的であれば使っても良い」ということでしょう。ソーシャルメディア以前は、大きな事件・事故があれば顔写真を「どこからか(卒業アルバムや友人が持っているものなど)」入手して掲載してきたわけですが、この場合許諾を得ることも、出所を示すこともありませんでした。

 ソーシャルメディアに投稿された顔写真についても同様に、報道目的であれば許諾なしで利用できる。(日本新聞協会の報道資料研究会

実はソーシャルメディアが出所であると明示しているのは朝日新聞だけ。読売新聞、毎日新聞を購入して確認したところ、出所は明示していないものの朝日と同じ写真があることが分かりました。

f:id:gatonews:20160117114234j:plainスキーバス転落事故を報じる1月17日の朝刊社会面。左から毎日新聞、読売新聞、朝日新聞

 

朝日が出所を明示したというのは「引用」だと捉えた可能性があります。Facebookのプロフィールは投稿が非公開であっても公開されています。公表された著作物は報道、批評、研究などの目的であれば出所を明らかにするなどのルールを守っていれば問題になりません。

朝日の記事を批判する人もいますが、「どこからか」入手して掲載したというスタイルより、朝日の記事のほうがソーシャルメディアの時代に適した記事の書き方と言えるでしょう。ブログを読んでいるみなさんは、写真の引用や出所問題をどうお考えになるでしょうか。

個人としてこの問題を捉えるなら、誰もが見えるところに何らかのコンテンツを公開するということは、報道、批評、研究に引用されても仕方がないということです。なお引用は許可を得る必要がありません(無断引用という言葉は間違い)。もし、引用されたくなければ今のところは、公開されるネットに一切(友人、知人と一緒に写っているものも含めて)顔写真を掲載しないようにする必要があります。なお、LINEなど公開が前提となっていないものは別です。

報道に顔写真が必要なのか

それでも、どことなく「これでいいのか」という違和感は消えないと思います。それは、そもそも報道に顔写真が必要なのかという根本問題があるからでしょう。

顔写真については、『新聞報道と顔写真―写真のウソとマコト』という本があるぐらいですし、横山秀夫が地方紙を描いた小説『クライマーズ・ハイ』では主人公の悠木が県警キャップ時代に顔写真を取ることを命じた後輩の望月が、死者の顔写真を新聞に掲載する意味について食って掛かかり、その後自殺のような死を遂げることが描かれているように、長い間報道現場で課題となっています。

いまやよほど大きな事件・事故でなければ掲載されませんが、私が駆け出しの記者だった20年前はどんな小さな交通事故でも顔写真を入手するのが当たり前という時代でした。取材をすると罵声を浴びせられたり、追い返されたりすることがあり、「何の意味があるのか」と非常に悩みました。

取材を重ねる中で出した結論は遺族がどう考えるか、というものでした。 全員が顔写真の掲載を拒否するわけではありません。遺族の中には「多くの人に知ってもらい、最後の別れをしてもらいたいので」と顔写真を載せて欲しいと希望する方もいます。事件・事故が起きてほしくないから多くの人に考えてもらいたい、とメッセージを託してくださる方もいました。

大変な悲しみの中にあるのに、大切な人の死を社会のために生かそうとする人がいるということは、若い駆け出し記者である自分には驚きでした。

注意深く取材をするようになり気づいたことは、「顔写真なんて探しに来たのか。帰れ」などと怒るのはだいたい関係が遠い親戚とか近所の人なのです。 こういう議論が起きるときは「誰も掲載を望まない」などと一方的に決めつけた意見がネットで拡散されがちですが、これも当事者にはほとんど関係がない人が、報道をきっかけに騒いでいるパターンに過ぎません。

遺族に「事故を起こさないために社会に広く伝えたい」という考えがあり、そこに顔写真やエピソードがあるなら、批判は少なくなるでしょう。というより、何らかの批判があったとしても、当事者が社会に声を上げたいと望むのであれば、それを支えるのが報道の役割です。

顔写真を望むのは読者でもある

ソーシャルメディアの登場で、プライバシーを守るのはどんどん難しくなっています。ネットメディアやまとめサイトは、普段から勝手にキャプチャしていますし、今回のスキーバス事故でも、容姿についてタイトルに出したまとめサイトもあり、拡散されています。

このことからも分かるように、顔写真の掲載を続ける理由には読者や視聴者が望むからという側面があるのです。報道や公益性を打ち出しても、ビジネスであるという事実からは逃れることが出来ませんし、受け取る側の要求が反映されるのです。

しかし、いまや欲望を剥き出しにしたメディアはネット上に無数に存在し、気軽にアクセスが可能になっています。もし、新聞社が報道機関として信頼と価値を高めたいのだとすれば、ソーシャルメディアで簡単に「引用」できたとしてもあえて掲載せず、遺族から許可を得るなど丁寧に取材していくべきです。

遺族は、気持が落ち着くまでには時間がかかり、しばらくたってから何か話したいという場合もあります。時間が立てば人は忘れてニュースバリューが落ちてしまいますが、丁寧にニュースを扱うことが伝わっていけば、取材を受ける側にも、読者側にも変化が起きるでしょう。

現在の報道スタイルでは、手間をかけている現場取材が無駄になっている上、書いている事がまとめサイトとなどと変わらないものになっており、その価値が読者には伝わりません。ソーシャルメディア時代に合わせた取材、記事、紙面やネットでの展開を考えていく必要があるでしょう。

この問題は簡単に答えがでるものではありませんし、ブログを読んだ方にも色々な意見や考えもあると思いますが、それぞれに考えて頂ければ幸いです。下記の本が参考になると思います。

 

■『クライマーズ・ハイ』は大きな事故が記者にどのような心理をもたらすのかという点からも興味深い本です。大きな事故に関してソーシャルメディアで何かを発言する際に、この本に登場する記者と同じような心理になっていないか…

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

 

 ■マンガ『海猿12巻』。海上に航空機が墜落、事故の犠牲者名簿を電話で確認する作業を担当する浦部(仙崎の彼女、毎朝新聞社記者)。「私はいったい何をやっているんだろう」。報道の意味を考えさせられる。

海猿 (12) (ヤングサンデーコミックス)

海猿 (12) (ヤングサンデーコミックス)

 

 

書籍に論文、国際会議での発表とゼミ生が大活躍の2015年でした

法政大学に移って3年目となった2015年は、ゼミ生の活躍で充実した年となりました。

ローカルジャーナリストの田中輝美さんと1月から一緒に取り組んでいた風の人プロジェクトは8月に「地域ではたらく「風の人」という新しい選択」(ハーベスト出版)として、情報ネットワーク法学会の研究会で2013年から続けてきた議論をベースに10月には「 ソーシャルメディア論: つながりを再設計する」(青弓社)を出版することが出来ました。

どちらも紆余曲折があったものの、沢山の方の支えと編集者との出会いがあり、出版までたどり着きました。風の人では、ふるさと島根定住財団との「地元に帰る帰らない会議」、珍獣ナイトに仕事バー、田中優子さんを迎えてのトークイベントなども実施しました。

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NTTコミュニケーション科学基礎研究所との共同研究は、7回データ工学と情報マネジメントに関するフォーラム(DEIM2015)でゼミ生が筆頭で発表した「SNS上での拡散を誘発するwebニュース説明文の調査と自動選択」が優秀インタラクティブ賞 、学生プレゼンテーション賞のW受賞。さらに、オーストラリアで開かれた国際会議CIKM '15(Conference on Information and Knowledge Management)にポスターで参加しました。

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昨年共同研究を行ったTBSメディア総合研究所の成果についても日経広告研究所報Vol.283に学生論文「大学生のテレビ視聴のきっかけ ―ソーシャルメディア利用との関係を中心に」として発表しました。

また、初めてのゼミ卒業生が執筆した「ソーシャルメディアとテレビ番組の連携の効果に関する研究」が2014年度の優秀卒業論文に選ばれました。

教員としては、法政大学教育開発支援機構が行った「学生が選ぶベストティーチャー賞」に選ばれました。投票してくれた学生の皆さんどうもありがとうございました。授業では「ウェブジャーナリズム実習」でYahoo!ニュースの協力を得て新しいアプリを考えてみました(参考:「お金がない」「電車で座りたい」――大学生がアプリで解決したい課題とは?【法政大学×Yahoo!ニュース】 - Yahoo!ニュース スタッフブログ)。

Facebookを見返すと2014年末にこんなことを書いていました。 

2015年はゼミ生からの調査報告のまとめや論文、原稿を待っている間にやってきた。「2014年内提出」という締め切りはいつものように守れず、最後の最後までやり切れない悔しい年越しだった。 何度「もういいかな。こいつらには出来ないんだ」と思ったことか。「正直どうしたらいいか分からない」とも伝えたこともある。「ゼミ生に求めるレベルが厳しすぎるのではないか」とも言われた。3年生は半分以下になった。 ウソをついて「出来る」と褒めても仕方ないし、こんなもんだと諦めるなら教員を続ける意味が無い。ゼミ生が必ず出来るようになると信じてやり続けるしかない。目線を上げるために、もっと劇的に環境を変えていく必要もあるかもしれない。2015年はやれることは全てやりたい。明けない夜はないのだから。

ゼミのチームワークを高めようとサイボウズにワークショップをお願いしたりもしました(参考:コスパより「理想」を追え!──藤代ゼミで行った大学生向けチーム議論のメソッド | ベストチーム・オブ・ザ・イヤー)。

結果的に、書籍に賞、国際会議、論文と藤代ゼミ生の活躍は目覚ましいものがあり、 法政大学生の潜在能力の高さを証明できたと思います。就活では4年生が最後まで粘ってそれぞれに納得がいく結果を出してくれたことも教員としては大変に嬉しいことでした。ゼミ生は、泣いたり、笑ったりしながら、自分と向き合い、何事も面白がれるようになり、成果が出るようになりました。

千葉県野田市のシティプロモーション、「ACROSS」編集部とのプロジェクト(PDF:パルコのファッション&カルチャーのシンクタンク「ACROSS」編集部との産学協同プロジェクトを始動。東京、ソウル、京都で定点観測を実施。)、などの取り組みを進めているところです。2016年も藤代ゼミはますます面白くなるはずです。

仲間と取り組んでいる日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)の「ジャーナリズム・イノベーション・アワード」は1年目にも関わらず好評を頂き、出展者同士の連携で新たな取り組みが生まれるなど、ジャーナリズムの発展に小さいながら寄与できたと思います。

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アワードをきっかけに、藤村厚夫さん、長澤秀行さん、瀬尾傑さんと共に発起人となり、メディア・ジャーナリズムを引っ張ってきたベテランと、未来を担う若手が運営となったイベント「ONA共催デジタルジャーナリズムフォーラム2016」の開催も決まりました。「ジャーナリズム・イノベーション・アワード2016」も連携して開催します。

地域の発信者を増やすというライフワークも足利市NPO法人「コムラボ」の皆さんと足利市の事業として地域ライターを育てる取り組みを始めました(参考:足利でクラウドソーシング活用講座はじまります! | NPO法人コムラボ)。

そういえば、2015年は徳島新聞を辞めてから10年という区切りでした。キャリアについて珍しくインタビューを受けました。朽木さんが書いてくれた記事はとても多くの方に読んで頂いたようです。

www.pasonacareer.jp

10年早いと言われながら、ソーシャルメディア論や風の人、アワード、ライター講座、ゼミ…誰もが発信者になれる時代のジャーナリズム活動底上げにつながる活動はようやくカタチになり始めました。どの活動も、共同研究先、共同プロジェクト先の皆さんのアドバイスや指導に大いに助けられました。ジャーナリズムの未来をつくる仲間に恵まれたことに感謝しつつ、2016年もどうぞよろしくお願いいたします。

「ソーシャルメディア論」出版記念イベント:ソーシャルメディアをどう教えるのかを行います(終了しました)

10月に「ソーシャルメディア論: つながりを再設計する」を出版しました。本の表紙にも書いているように「ソーシャルメディア論」の教科書としてまとめたものです。

『ありそうでなかった「ソーシャルメディア論」の教科書。「ネットは恐ろしい」で終わらせず、無責任な未来像を描くのでもなく、ソーシャルメディアを使いこなし、よりよい社会をつくっていくための15章。』

出版を記念して12月19日に「ソーシャルメディアをどう教えるのか」と題したイベントを法政大学で行います。著者による講義時のポイントを紹介する5分のライトニングトークと会場からの質疑に回答するQ&Aがあります。

対象は、高校、大学、大学院、企業やNPOなどでソーシャルメディアに関して教える機会がある方が前提となりますが、もちろん、書籍の理解を深めたいという方の参加も歓迎です。

この本は情報ネットワーク法学会の研究会での議論をベースにつくられていますが、著者が揃う機会は研究会の際にもありませんでした。執筆者には各分野で注目の人材が揃っているので貴重な機会です。

本を購入して持参してください。できれば事前に目を通して頂けるとありがたいです。

ソーシャルメディア論: つながりを再設計する

ソーシャルメディア論: つながりを再設計する

 

【イベント概要】

開場:14時 開始:14時30分 終了予定:17時

場所:法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎3階 S306教室

参加条件:申し込み不要。「ソーシャルメディア論」を持参して下さい

14時30分:本の狙い、使い方

14時40分:著者による講義時のポイント紹介ライトニングトーク(各5分)

16時:質疑

17時:終了

登壇者(担当分野、所属)

木村昭悟 (技術、NTT研究所)

一戸信哉 (法・教育、敬和学園大学

伊藤儀雄 (ニュース、Yahoo!JAPAN)

山口浩  (広告・人、駒沢大学

工藤郁子 (キャンペーン、マカイラ)

小笠原伸 (都市、白鴎大学

新志有裕 (権利、弁護士ドットコムニュース)

小林啓倫 (モノ、日立コンサルティング

生貝直人 (共同規制、東京大学

五十嵐悠紀(システム、明治大学

藤代裕之 (歴史・メディア、法政大学)

主催:情報ネットワーク法学会デジタルジャーナリズム研究会・ソーシャルメディア研究会、法政大学藤代裕之研究室、共催:法政大学社会学研究科

以下はチラシです。

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ノーベル賞受賞を「異色」の経歴で終わらせないように

ノーベル医学生理学賞に輝いた北里大学特別栄誉教授の大村智さんの経歴が話題となっています。

『山梨大を卒業し、都立墨田工業高校の夜間部で教員として勤めた。昼間の仕事を終え、真っ黒に汚れた手で勉強に励む教え子を見て「俺も頑張らないと」と一念発起、大学院に通って研究者を志した』(おめでとう、智おじさん)

mainichi.jp

このような話を美談、特別な出来事で済ませるのではなく社会に「仕組み」として残す必要があります。学びたいと思った人が、どのような立場でも、年齢でも学ぶことが出来る多様な教育の仕組みと、トップまで繋がるルートがあることが大切です。

大村さんは農家を継ぐはずが、「大学に行くか?」という父親からのチャンスをつかみ、次は自分で夜間大学院に通い、自分でスポンサーを探して企業から研究費を獲得し研究を継続しました。

農家として美味しい食べ物を作ったかもしれないし、高校の先生として素敵な人生を過ごしたかもしれません。人生は何が幸せかは分かりません。ただ、学ぶ場が適切に大村さんに用意されなければ、ノーベル賞はなかったでしょう。

言いたいことは農家も、高校の先生も、ノーベル賞も、地続きだということです。高校時代の目標が、将来の可能性を狭めてしまわないようにしなければ、ならないのです。

ノーベル賞受賞者の出身大学を見ると、山梨だけでなく、埼玉、徳島、神戸など旧帝国大学(旧帝)以外の大学も頑張っています。博士号は旧帝での取得割合が増えますが、学部で学問の基礎力、探究心が育まれなければ、ノーベル賞にはたどり着かなったでしょう。

地方大か旧帝か、国立か私立か、文系か理系かという問題ではなく、大事なことは学問の裾野を広げることにより、頂点を高くするのが大事ということを示しているのではないでしょうか。

周囲の大人は人の可能性を見つめ、チャンスを用意するのが役割です。最近は大学を役割別に分けようという議論もありますが、職業訓練を行なう大学では学問への基礎力、探究心は生まれないでしょうし、何より学生の可能性を信じてないように感じます。若者は、何者でもない、だから何者にでもなれる。

若い人にはチャンスを掴んでもらいたいと思います。繰り返しますがノーベル賞は別世界の話ではないのです。チャンスを活かし、次はつかむように努力することが若い人の仕事です。

チャンスは一度は誰もが与えられますが、その次は掴みに行く努力をしないといけません。ラグビーの日本代表は朝5時からタフな練習をしました。人のしていない努力をすれば、勝てないと言われていた相手にも勝てるのです。ですが、チャンスは一度つかんでからが本当の勝負です。南アフリカには勝ちましたが、スコットランドには負け、そこから立てなおしてサモアに勝利したラグビー日本代表は、素晴らしかったと思います。

いま、日本の大学は、学びたい時に学べる、知の基礎体力を養う場所ではなくなりつつあります。さらに、授業料は上がり続け、仕送りは下がっています。保護者が「大学に行かせたい」と思っても、本人が「働きながら学びたい」と思っても、大変難しい状況になってきているのです。現実は、異色のノーベル賞が出る可能性をひたすら小さくしていっているのです。

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 教育は人の可能性にかけることが最大の役割です。チャンスを出来るだけ社会に広く用意することが大切です。

大学生の中には、厳しい授業やゼミに、「なぜこんなことをやるのか」「もっと楽に単位がほしい」と思っているかもしれません。教員は学生の可能性を信じているからこそ、高い目標を掲げて叱咤激励しているのです。

ですが教員は、チャレンジを促すことまでしか出来ません。それはもどかしいものですが、「扉を開く」のは自分自身です。何よりも大切なことは、本人が自分の可能性を信じることです。自分を信じなければ伸びていくことはありません。

今日も課題をやったり、どこかで残業をしたり、している私に関わった学生やOG・OBに。そして学生を信じ、日夜指導している先生方に、心を込めて。

 

秋晴れの多摩キャンパスにて。

 

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『地域ではたらく「風の人」という新しい選択』の出版は、東京中心のメディアへの挑戦でもありました

法政大学社会学部藤代ゼミでは、ローカルジャーナリストの田中輝美さんとともに、島根で活躍する「風の人」を取材する活動「風の人プロジェクト」を年始から行ってきました。8月18日にいよいよ『地域ではたらく「風の人」という新しい選択』というタイトルで発売されます。実はこのプロジェクト、東京中心のメディアへの挑戦でもあるのです。

 

地域ではたらく「風の人」という新しい選択

地域ではたらく「風の人」という新しい選択

 

 企画が通らなかった「風の人」本

本のタイトルにもなっている「風の人」という存在に注目したのは、2011年に起きた東日本大震災の活動経験がきっかけでした。被災地で出会いソーシャルメディアつながった人たちが、連携しながら他の地域の課題や社会問題に取り組んでいるのを見て、場所を超えた面白いネットワークが生まれているなと感じました。

 徳島の神山町美波町、岡山の西粟倉村、島根の海士町などは、地元のメディアを飛び越えて他地域とつながり、感度が高い人が訪れています。「食べる通信」のような地方と都会をつなぐ新しいメディアも登場。このような状況を日経新聞電子版の連載にまとめました。

 

www.nikkei.com

さらに、日経新聞の協力で、美波町で高齢者のタブレット使用のサポートを行う活動拠点「ITふれあいカフェ」を立ち上げて高齢者向けの製品開発事業を開始していた奥田浩美さんと食べる通信の編集長高橋博之さんとイベントも行いました。 

イベントの反応も良く、地方創生が話題になっていたこともあり、ローカルジャーナリストとして独立した田中輝美さんと相談して、全国の「風の人」を取材して書籍にしたら面白いのではという話になり、いくつかの出版社に相談してみたのですが、企画は通りませんでした。

たまたま話した部門やタイミングが悪かっただけかもしれませんが、出版業界に詳しい知人に聞いても、確実に売れる本(嫌韓・中関連や自己啓発系など)、これまでに(売れた)本を出している書き手、ソーシャルパワーがあって(出版社が何もしなくても)売れそうなもの、しか企画が通らなくなっているという状況になりつつあるということでした。マス的なメディアの限界を感じることになったのです。

 自分たちで本をつくろう

「風の人」は知ってもらいたいけれど、たくさん売るために無理に煽って変な本になるのも嫌。地域を取り上げた本は、良い意味でも悪い意味でも東京の人たちの都合のよい本になって、地元の人たちから「なんか違うなあ」と言われるようなものにもしたくない。地方出身者として「地方への幻想イメージ」のようなものが、ねじ曲げていると感じることもありました。

そこで、田中さんと相談して、自分たちで出版するためにクラウドファンディングに取り組むことにしました。開始時点では出版社は決まっておらず「クラウドファンディングが盛り上がって成功すれば、どこか出してくれるのではないか」という楽天的な話をしながら、自分たちでデザインして、印刷し、手売りすることもあり得ると腹をくくったのです。

 

faavo.jp

 

田中さんによると島根では「風の人」と言える人が、各地に点在して全国から注目されつつあるということでした。海士は既に成功事例として知られていましたが、江津や雲南、奥出雲で、面白い人がいる、全国の「風の人」から島根の「風の人」にフォーカスを集中することにしました。

田中さんと藤代で書くという選択もありましたが、取材はゼミ生が行うことにしました。地方からのゼミ生もいれば東京でずっと暮らしているゼミ生もいるため、地方の視点、都市の視点、どちらも取り入れることで新しい発見が生まれることを期待しました。

1月にゼミ生にプロジェクトについて説明。インタビューの事前調査を進めるとともに、書籍化する費用を検討するように伝えました。

ゼミ生が、図書館から自費出版の本を借りたり、ウェブで調べたりして出した結論は「出版は儲からない」という現実でした。「利益で焼き肉も食べられない…」。

ゼミ生にはゼミ費から取材経費を借りてもらい、本を売って返してもらうことにしました。法政大学メディア社会学科には将来「出版社に行きたい」という学生もいるのですが、メディアを作ることの難しさ、売っていくことの大変さを身を持って感じるプロジェクトになりました。

田中さんのパワーで、FAVVOは早々と目標を達成。しかし、出版社を探すのは少し手間取りました。企画の趣旨を理解して、ただ本を出す、だけでなく一緒に本を売るところまで取り組んでくれるところ。できれば地方、島根の出版社が良い…

伴走してくれる出版社

こんな無理な条件でしたが、ご縁があり島根のハーベスト出版さんが引き受けてくれました。編集者は、東京まで来て「学生時代に本を出すなんてできない。一生懸命取り組んで」とゼミ生にアドバイスをくれました。藤代が島根に行って田中さん、編集者と一緒にタイトルも考えました。

島根での取材、原稿の執筆、ゲラの確認… 出版されるか、自分たちでつくるかもギリギリまで分からない。不安定な状況で、7ヶ月の間に多くのことがありました。ゼミ生は最後まで粘り強く取り組み、8人のインタビューのうち7人をゼミ生が担当することが出来ました(1本は田中さん)。いいタイトルが決まり、素敵な表紙が出来上がりました。

第一弾として以下のイベントを行います(イベントは終了しました)。最近はメディアのイベントは東京でたくさん開かれていますが、地域を面白くするローカルメディアの実践者が集結して話すイベントはとても少ない。書籍付きチケットもありますし、ハーベスト出版の編集者もやって来てくれる予定です。

 

peatix.com

 

改めて 活動を支えて頂いた皆様、ありがとうございました。これから書籍をより多くの人に届けるために、他にもイベントなどを行っていきます。ゼミ生の目標は、取材経費を返し、打ち上げで焼き肉に行くことです。本を手にとって頂いたり、イベントに参加して頂けるとありがたいです。どうぞよろしくお願いします。

研究室のウェブサイトに「風の人」プロジェクトの特設ページをつくりました。

 

いまどきメディアへの憧れだけでメディア社会学科を志望している時点で死亡フラグが立っている

先日、西田亮介さんが、大学のクラスで『AERA』誌を知らず、雑誌を買っている人がいないとツイートしたのに対して、下記のようなツイートを行いました。2013年から法政大学社会学部メディア社会学科で教えているわけですが、一番驚いたのが 「メディア志望です」という学生が、新聞や書籍を読まず、場合によってはテレビもあまり見ず、ドワンゴ角川書店の合併といった業界を揺るがすニュースも知らないということでした。

 

 

「具体的にメディアというと?」と聞くと、「漫画を読んでいるので、出版社に行きたい」 と答える学生がかなりの割合でいます。ですが、出版社が手がけている雑誌も書籍も読んでない。もちろん、出版業界が抱える課題(本が売れない、電子書籍化など)にも関心がありません。

スマートニュースやNewsPicksのようなスマートフォン向けのニュースメディアだけでなく、ヤフーすら「メディア」と捉えておらず、自分たちの進路の範疇に入ってないのもかなりの驚きでした。メディア=マスメディア(テレビと漫画)であり、漠然と華やかそうなイメージに憧れているだけ、なのです。

 

 

大学の教員となって出身の新聞業界以外、テレビや出版の方とも話すことが増えました。「面白い学生が採用で来なくなった」との嘆きは既存マスメディア業界全体に言えることのようです。採用担当の方から「藤代さん学生を紹介してくれませんか」と言われることもあります。古いメディア観を持った学生が、採用試験を受けるのだから、まあそうなるようなあと…

ツイートに対して、「昔もメディアに憧れて志望した」という意見も見られましたが、以前はメディア業界はそれなりに時代の先端だったし、マスメディアに入らなければ多くの人に情報を伝えることはできなかったので、好奇心を持った人、社会への問題意識を持ち、多くの人に伝えたいという人もいたわけですが…

 

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ソーシャルメディアの登場によって誰もがメディアを持てる時代。表現に関心がある学生は、ブログを書いたり、動画サイトで中継したり、フリーペーパーをつくったり、しています。社会問題に関心がある学生は、被災地や過疎地で活動し、シェアハウスをつくり、クラウドファンディング資金を集めています。これらの学生は好奇心も旺盛です。そういった学生はメディア社会学科に来なくても、メディア的活動を行っているわけです。

メディア志望といいながら、ソーシャルメディアは仲間内でのやりとりに使い、クラウドファンディングは知らない、社会の問題も関心が乏しい、好奇心がないのでメディア業界が直面している課題も知らない。でも、メディア業界の人と知り合って威張っている。みたいなナゾの意識高い系学生がいてトホホな気分になります。

誰もがメディアを持てる時代に、メディアに入ることが目的化しているようでは、その学生の将来が相当危うい。そこで、最近では私が担当する高校での模擬授業や進学ガイダンスでは学科の説明の仕方を変えるようにしました。 

 

 

法政大学メディア社会学科では、今年度の新しいカリキュラムからメディアを学ぶ講座とプログラミング系の科目を組み合わせて履修することを推奨するように変更しました。ワークショップ型で次世代のメディアを考える「ウェブジャーナリズム実習」もスタートします。

代ゼミは厳しいと言う学生もいますが、「メディアを使って社会問題を解決する人材をつくっている」もしくは「メディアの未来を切り拓く面白い学生がいる」と言われるように(学生にとっては変化が激しいメディア社会を生き抜く基礎力を身につけられるように)取り組んで行ければと思っています。